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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第五話:霧の国・夜の国(後編)

 あまりの静けさに胸が不安に騒ぐ。
 何回経験しても慣れることのない夜だ。
 パチパチと音を立て、赤く燃える焚き火の横でラヴェルは黙って座っていた。
 目が覚めているのか眠っているのか自分でも分からなかったが、気付くと時折小枝をくべて火を絶やさぬようにする。
 そんなラヴェルには構わず、焚き火の反対側ではルキータがお気楽な寝息を立てている。
 すぴー……すぴー……。
 のんきげな寝息が規則正しく続いている。
「……気楽だねぇ……はぁ……」
 ラヴェルは溜め息を付いた。
 このニブルヘイムへ分け入ってからずっと気分が滅入っている。気候のせいだろうか。それとも死者の気に当てられたのだろうか。
「ん……あれ?」
 今頃気付いたが、レヴィンの姿がない。
 慌てて首をめぐらせて見るが、視界の範囲内に青い影は見えなかった。
「うう、嫌だなぁ……」
 ルキータは相変わらず眠りこけている。
 こんな不気味なところでラヴェル一人で火の番をするのは非常に心細い。
 仕方ない、渋々ラヴェルはマントを羽織りなおすと辺りを歩き回ってみた。
「あ、いたいた……あれ?」
 とっさにラヴェルは大きな岩の陰に隠れた。
 向こうの岩の下で、レヴィンが何かつぶやいているのが聞こえた。
 岩と枯れ木の間からこっそり覗いて見ると、銀色のたてがみを持つ狼がレヴィンの前に痛々しげな姿をさらしていた。
「しょうのないヤツだな、撃たれたのか」
 猟師の流れ矢にでも当たったのであろう、狼の後ろ足の付け根には矢が深々と刺さり、周囲の体毛が赤く染まっていた。
「……これでよし、と」
 矢を引き抜き、何かの薬草を揉んでその汁を塗ってやると、その上から布の切れ端を包帯がわりに巻いてやる。
 こっそり様子を見ていたラヴェルは、レヴィンが普段見せている姿とのギャップに、ひょっとしておかしな夢でも見ているのではないかと自分の目と頭を疑ってしまった。
 目をごしごしこすっているラヴェルなどにはまるきり構わず、その狼は一声鳴くとどこかへ去って行った。
 それを見送るとレヴィンも立ち上がった。
「……で、そんなところで何をしている」
「うっ……」
 バッチリ気付かれていたらしい。
 仕方ない、ラヴェルはすごすごとそこへ出て行った。
「いや、あの、一人じゃ寝られなくて……」
「ガキかお前は」
 正真正銘一人で寝ているルキータなど忘れたのか、ラヴェルはレヴィンと崖の上へ登ってみた。
 目の前に広がるのは霧の上に頭を出した山の姿。
 いつの間にか頭上に高く射した月影は大きく、神秘的にも見え、不気味にも見えた。
 ラヴェルは黙って空を見上げた。
 星が流れていく。
 ふと、レヴィンが口を開いた。静かなその口調は、谷を吹き抜ける風に紛れて聞き逃してしまいそうな、そんな声だった。
「この山々はな、アスガルドとつながっている……」
「………………」
 天空界アスガルド。バランスの崩れた魔力によって吹き飛ばされ、空の高みに浮かぶ不思議な島々。
「アスガルドは二層ある。上の層は正真正銘、この世界が出来たときからある世界。そして下の層が、かつてはミドガルドだった、吹き飛んできた大陸の残骸……」
「二層に……初めて聞いたな、それ」
「ああ、そうだろうよ。地上の人間は知る術がないからな、そんなこと。本来アスガルドと呼ばれるべきは、その上の層……ハイガルディアだ」
 天津国。
 神秘的な響きを持つその言葉に地上界の人々はあこがれ、現に数多の詩人達が詩の題材にその世界を取り上げてきた。
 それは空想の域を出なかったが、どれにも共通するのは一般の人間には手の届かない、理想の楽園の姿だった。
 その度に物語は、アスガルドにあるという桃源郷……ザナドゥやシャングリラなどへの憧れを、より一層強く地上の人間に植え付けてきた。
 そのアスガルド……物語の世界が、実際にこの空にあるという。
 とても信じられない話ではあるが、少なくともレヴィンは嘘をついている様子はなかった。
「この山々の少し東に古い塔があってな、それは雲を貫き、天空まで届いている。俺はそこから降りてきた」
 どこか遠くで狼の鳴く声がする。
「どうして降りて来たの? あ、弟、探してるんだって言ったっけ?」
「まぁな」
 灰色のちぎれ雲は月に近付くと銀色に輝き、やがてまた離れながら色を灰色に変えていく。
 上空は風が強いのか、そのような雲が幾つも月の脇を通り過ぎて行った。
「アスガルドって実際はどんなところ?」
「期待を裏切って悪いが、ミドガルドと変わらないさ。島を浮かべているのが海か空かの違いだけだ」
 空に浮く島々には翼持つ者が飛び交い、翼持たぬ者は空行く船に乗り、雲の海を行くと古い歌にある。二人はしばらく無言で夜空を見上げた。
 やがて、歌うともなく静かな声が谷に流れた。
 邪魔しないように焚き火の横へ戻ったラヴェルは、マントにくるまると身を横たえた。
 無理にでも寝ようと目を閉じた彼の耳に、どこか懐かしい響きの竪琴の音が聞こえてきた。
(何だろう……懐か……)
 気付かぬうちにラヴェルを眠りに導いたその音色は、月が傾くまで夜の谷間を風に乗って漂った。
 恵まれぬ眠りに落ちていた死者だけでなく、動物や妖精までも穏やかな眠りへ意識を落としていく。
 この地上で最も不気味な眠りに包まれていた山間は、今宵限りはいつになく穏やかな眠りの地へ姿を変えていた。



「んー、気持ちいい〜」
 あれだけの澱んだ日々が嘘だったかのように、あくる朝はすがすがしい空気に包まれていた。
 瘴気は影を潜め、冷たい清水の流れる小川から朝霧が立ち昇っている。
 薄ぼんやりと姿を現した景色の中、どこからともなく一匹の狼が姿を現した。
 本来夜行性のその獣の後ろ足には布が巻いてある。昨日の狼だ。
「ん? ついてくるのか?」
 知能が高く、プライドの高いこの生き物は、これ、と感じた相手には忠誠を尽くす。
「レヴィン、これって昨日の狼じゃないかな?」
 撫でてやろうと手を伸ばしたラヴェルの脇をそっけなく素通りすると、狼はレヴィンの足下にすりよって一声鳴いた。
 手を伸ばしたまま固まっているラヴェルをチラッと見るとレヴィンは軽く鼻で笑ったようだった。
「ふ……まあいいさ。来たいなら来ればいい」
 また一声鳴くと、狼は先導するかのように南へ向けて歩き始めた。
 山陰をゆっくりすすむと、徐々に霧が晴れ、空も明るさを増してくる。
「うわぁ!」
 やがて高い山脈の向こうからまばゆいばかりの太陽が姿を現した。
「夜の国を抜けたな」
「ああ、何だか目を開けていられないよ」
 日の光に包まれた世界を歩くのは幾日振りなのだろうか。
 太陽がないことに取り立てて困ったわけではないが、ラヴェルは今日のこの太陽の光に、恵みに深く感謝を覚えた。
 遠くの峰が白く輝く。常に雪をかぶった山脈は、光を浴びて神々しいまでのその姿を誇らしげに見せながらそびえていた。
 そのような風景を見ながら山道を谷沿いに進んで行く。
 岩場の中に僅かに見える土の上を、狼が先導している。明らかにレヴィンたちが歩きやすい場所を選んで進んでいる。
 その歩みが止まった。
「ふむ」
 レヴィンもその足を止めた。
「見てみろ」
 促され、ラヴェルとルキータはレヴィンと並んで崖の上に立った。
「うわ……」
「すっごーい……」
 大地が、まるで裂けたかのように深い溝を刻んでいた。
「うわー……凄い……深い……」
 目の前の大地を深い亀裂が走っていた。底は見えない。
 ラヴェルは試しに小石を落としてみたが……暗闇に飲み込まれていっただけで、地面に落ちた音は聞こえなかった。
 噂に名高いギンヌンガの地溝である。
 全てを飲み込むといわれるその裂け目は確かに、眺めているだけでも吸い込まれていくような感覚を味わわせた。
 その切れ目の中を、轟音を立てて突風が吹き抜けていく。
 その風が時折吹き上げてきては、崖の上に立つラヴェルたちを凍えさせた。
「このギンヌンガ・ギャップは炎と氷が出会う場所……つまりニブルヘイムとムスペルヘイムの境目にある場所だ」
「谷が唸っている……」
 足元を不気味な音が震わせている。
 それはまるでこの大地の割れ目が咆哮を上げているようだ。
「地溝の風上には魔の巨大な大鷲が住んでいて、死者をむさぼり食っているという」
「フレスベルグだっけ?」
「そうだ。そいつの息だとか、はばたきだとか言われるが、この風はヤツが起こしているらしい。さて、行くか」
 見ればすでに狼は向こうへ歩き出していた。
「普通はこんな所に人は来ないが……まるきり人間がいないわけではない。狩人やきこりなどの山師は住んでいるようだからな」
 板を山藤で編んだ太いワイヤで支える頑丈そうな釣り橋がかかっている。
 視界の先には赤茶けた崖にぱっくりと大きな穴が開いていた。
 その釣り橋のたもとまで辿り着けば道案内はここまでらしく、一声鳴いて狼はまた冷たい山影向けて姿を消していった。
「さ、行くぞ。ここまで来れば半分は過ぎたことになる。あと少しだ」
 レヴィンに促され、風に揺らぐ釣り橋にルキータと最後尾のラヴェルは恐る恐る足を踏み出した。
 釣り橋を渡っていると、下から吹き上げる風にマントや髪が音を立ててはためく。
「ラーヴェールー!!」
 いきなり凄みのある声で呼ばれ、ラヴェルは思わず視線を上げた。
 揺れる釣り橋に吹き上げる風、底の見えない深い谷間。
 足元を見ながら歩いていたラヴェルだが、視線を上げたせいで彼女と目が合ってしまった。
 ルキータが据わりきった目で彼を睨んでいる。
「え? 何?」
「……何、じゃないわよ! 私より前を歩きなさい!」
 布地がばたばたと激しくはためいている。
 めくれ上がるどころか完全に逆向きになったスカートを必死で抑えるルキータから突き刺さるような視線を受けながら、ラヴェルは慌てて彼女の前へ出た。
 ぎしぎしと山藤のワイヤが揺れる。
 突風は冷たく、地響きのような音を立てて足下の大地の裂け目を駆け抜けていく。
 髪を吹き上げられ、帽子を押さえながら歩くラヴェルは、ふとレヴィンの背中に視線を向けた。
 彼……レヴィンは本当はどういう顔をしているのだろう?
 彼はいつも顔の半面を伸ばした前髪で隠している。
 たまには髪の下からちらりと見える事もあるが、隠された半面の上の方はほとんど見えず、見えても額に巻かれた包帯と、上半面を覆っているらしい布か何かが一瞬見えるだけである。
 この風では半面の伸ばされた前髪も吹き上げられているのだろうが、後ろにいるラヴェルにはそれを確かめることは出来なかった。
 橋を渡りきると、目の前にあったのは巨大な岩壁であった。
 そこには巨大でいびつな形の洞窟が不気味に口をあけている。
「よし、この洞窟を抜けていこうか」
「また太陽とおさらばだね」
「ああ。だが今度は灯りには困らない」
「どういうこと?」
「行けば分かる」
 白っぱくれた茶色い岩質の洞窟は天井が低く乾燥していて、歩くと埃が上がる。
 しかし意外と歩きやすく、一行は難なくその洞窟を奥まで進むことが出来た。
「ちょっとぉ、何も起きないじゃないの」
 残り僅かになった携帯食をつつきながら、一行は岩を椅子代わりにしてしばし休憩することにした。
 スリル大好きのルキータは、色々な魔物が出るのを楽しみにしていたようだが、今のところ幸か不幸かそのようなものには遭遇していないようだ。
「いや、起きなくていいから、本当に」
 ラヴェルは今までの安全に安堵しながら干パンをがりがりかじっていた。
「とにかくニブルヘイムを無事に抜けられて良かったよ。死者の仲間入りなんて、絶対にしたくないからね」
 赤茶けた土と岩の足元は、乾ききったところが白っぽくなり、足を乗せると土埃が僅かに舞い上がる。
「ねぇねぇ、この先には何かお化け出ないの?」
 ルキータはラヴェルに見切りをつけるとレヴィンに尋ねた。
「この先か。今度はムスペルヘイムを抜けることになる。ここには火竜や火トカゲが巣食っているな。炎の精霊の力が強いところだ。妖魔どもの鍛冶場があるとも言われる。そしてこの灼熱の国を治めているといわれるのが、伝説の炎の巨人スルトだ」

 ぶはっ!

 思わずラヴェルは食べていたものを吹き出した。
「スルト!? あのスルトがここに住んでるの!? いつか世界を焼き尽くすだろうっていうあのスルト!?」
 伝説によればスルトというのは太陽そのもののような炎の魔剣をもつ恐ろしい巨人で、世界のどこかにある炎の国に、下僕である数多の巨人と共に住んでいるといわれる。
「ああ。ミドガルドはニブルとムスペルの辺りから生まれ出た世界で、つまりこの世界ではこの辺りが最も古い土地だ。スルトは中津国の原初からここに住んでいるという。ミドガルドの始まりから生き永らえてきた、人間の及ばぬ存在だ」
 レヴィンの説明が終わらぬうち、ラヴェルはそそくさと食事を片付けた。
「帰ろうよ。そんなところを通るのは危なすぎるって」
「……もう一度夜と死者の国を通ってか?」
「………………」
 先般までは無事に抜けてこられたが、今度も無事に抜けられるとは限らない。少なくとも、歩いてきた山道に死者の瘴気が漂っていたのは事実である。
「うう、前は炎の国、後ろは死者の国……あうううう」
「ほれ、食い終わったのなら出発するぞ」
 こんなところにのこのこ来てしまった自分を呪いながら、ラヴェルは渋々立ち上がった。レヴィンとルキータの後ろから、びくびくと辺りを見回しながらついていく。
「何だか暑いわね……」
 やがて洞窟はむっとするような湿気に包まれた。ルキータが額に輝く汗を何度も拭っている。
「あ、あそこに風穴があるみたいだよ」
「え? どこどこ?」
 ルキータはキョロキョロ探しているが、ラヴェルは少し先の岩の割れ目から出ている白い蒸気をめざとく見つけた。
 ニブルヘイムにも沢山の風穴があって、冷たい空気が噴き出していた。
 思わず駆け寄って手をかざしたラヴェルに、背後からレヴィンの冷え切った声がかけられる。
「……お前本物のバカだろう?」
「うぁきゃーーーー!」
 ラヴェルの悲鳴が重なった。
 冷気の白い氷湯気かと思い切りその蒸気に手を突っ込んだラヴェルは、一瞬にしてその手を赤く腫れ上がらせた。
 残念ながら、それは紛れもなく湯気……つまり高温の熱蒸気であった。
「ここはムスペルヘイムだぞ? 冷気が噴き出しているはずがないだろう。ほれ、さっさと歩け」
「……ううう、先に言って欲しかったよ……」
 料理用の鍋掴みのようになった手をさすりながら、ラヴェルは再び歩き始めた。



 進めば進むほど熱気が増し、その蒸し暑さは耐え難くなっていく。
 それもそのはず、いつの間にか足元の崖下、洞窟の底には赤く燃え立つ岩が見えていた。
 ぐらぐらと煮え立つような溶岩が湯気を吐きながらゆっくりと流れて行く。
「これがムスペルヘイム……」
 思わずラヴェルは息を呑んで立ち尽くした。
 大地が燃えている。
 目が眩むような輝きを放ちながら、溶けた大地が流れているのだ。
「まさしく炎の国だね……」
「ああ」
 洞窟内に、レヴィンの声が低く抑えられて静かに響いた。
 
 天も無く地も無く、光も無く闇も無く
 在るはただ底知れぬ世界の割れ目
 死者眠れる地を北に臨みし灼熱の大地
 守るはスルト、炎の巨人
 いつの日かその時は来たらんという
 かの者、劫火によりて世界を浄化せんと

「ムスペルの歌だね」
「そうだ」
 空のない夜。
 炎の尖兵に見つからぬよう、岩陰に隠れて休む。
 再び太陽を見なくなってからまた幾日か経った。
 しかし洞窟内は真昼の太陽の下のような明るさと暑さが充満している。
「中津国だけでなく天津国や妖精郷などの世界各地に創世伝説が多様に残されているが、ミドガルドで良く知られているのは、このギンヌンガの地溝両岸、つまりニブルやムスペル地域から始まったという説だな」
 火を焚かないで眠るなんて初めてだが、むしろ氷を抱いて眠りたい気分だ。
 雪国育ちのラヴェルには、この暑さはとにかく耐え難いものである。
「そしてこの説だが、いつか世界は一度終わりを告げ、再び生まれるという」
「スルトが炎で焼き尽くすって話だよね」
「世界の斜陽(ラグナロク)。そう言われるな。ウーデンや多くの天上の神々すらも死に逝くという」
 その世界の斜陽をも生き残るのが、世界を貫いてそびえるという宇宙樹だ。
 炎によって焼き払われ光も闇もすべて消え去った世界に撒かれ再び生えてくる命の芽。
 その命こそ人間だと、古来の伝説に歌われている。
「まぁ、神々の伝説……つまり神話といわれる類の話だな。このムスペルヘイムはその重要な舞台の一つという訳だ」
「……とんでもない所に来ちゃったなぁ……」
 硬い岩の上ではなかなか眠りつけず、ラヴェルは何度も体の向きを直しながら夜をやり過ごす。
 そんな暑苦しい日を更に数日重ねた。
 視界の遥か先に何かが光っている。
「出口が見えた!」
 見間違いではない。洞窟の先に白い輝きが見て取れた。
 太陽の光だ。
「これでムスペルヘイムともおさらばだな」
「早く出ようよ!」
「私も!」
 ラヴェルとルキータは駆け出した。その二人の後ろからゆっくりとレヴィンが歩んでいく。
 降り注ぐ陽光の下に身を躍らせた二人は、しばしその場に立ち尽くした。
 眩しくて何も見えない。
 大地の燃え盛る不気味な輝きとは違う。
「あああ、太陽だよ! 何日ぶりだろう!」
 やっと目が慣れてくると、ラヴェルは目を眩しそうに細めて辺りを見回した。
 かなり険しい山岳地帯だが、あちらこちらから湯煙のようなものが上がり、かすかに硫黄の匂いが漂ってくる。
 眼下には山の麓に幾つか町らしきものが見て取れる。
 恐らく温泉街だろう。このような火山帯には温泉が豊富に湧くものである。
「ふ〜〜。やっとベッドで寝られる」
 そのうちの一つで宿を取ると、ラヴェルはふかふかのベッドに身を投げ出した。
 安宿の古びた布団だが、今のラヴェルにとっては贅沢な羽根布団にも勝る。
「やれやれ、何事もなく無事に来られたな。フフ、不満そうじゃないか」
「むうー」
 すっかりくつろいでいるラヴェルとレヴィンの横でルキータがつまらなげに足を休ませている。
 ラヴェルは噂どおりに魔物でも出てきたらどうしようと冷や冷やしっ放しだったが、ルキータは何も起きなかったことがかえって不満のようだ。
 この辺りはフレイムラントと呼ばれ、ラヴェルの故郷のある北の大陸ではなく、南に位置する気候の暑い大陸である。
「シヴァまでもう少しだね」
 フレイムラントはシヴァ王国と隣り合っていて、隣国の風変わりな文化の影響が見て取れる。
 例えば窓の外に見える聖堂の塔の屋根は見慣れた尖塔ではなく、玉葱のような屋根だ。
 町で見かけた人間も多くは北の大陸と似たような格好であったが、見慣れぬ曲刀を持つ者や、頭に帽子ではなくターバンを巻きつけている者も少なくない。
「すごく異国っぽいね。ドキドキするよ」
「そうだな、お前達のような大陸の人間には風変わりな文化にうつるのだろう。俺も確かに初めて訪れたときには驚いたが、この辺りの人間にとっては普通なのだろうよ」
 どこからともなくゆで卵のような匂いがうっすらと漂ってくる。
 久しぶりに寝心地の良いベッドに身を横たえ、それでもラヴェルは南大陸の異国情緒に心が躍ってなかなか寝付けないのであった。
つづく

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