がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜   目次   Novel   Illust   MIDI   HOME       <BEFORE   NEXT>

がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第八話:予兆(後編)

 長さの半減したロウソクが、かろうじて室内を照らしている。外は風が出てきたのか、時折透き間風が灯火を揺らしている。
「なぁラヴェル」
 ふと、ぼんやりとした口調でレヴィンは思いがけないことを言った。
「ひとつ、古い詩を教えてやろうか。詩……というよりは言葉の断片だが……」
 レヴィンの目はラヴェルではなく、ロウソクの頼りない光を見つめている。
 見つめてはいるが、いつになくその目は虚ろだ。
 赤い瞳が灯火の光を受け、余計に赤く見える。
 返事をする代わりにラヴェルは視線をレヴィンに向けた。
 静かな声が室内に響く。


 西の彼方……絶えぬ波……深き海……
 虚ろの深淵……光届かぬ民……沈みし者
 水底の魔性……深き淵より出し者
 暗き波間……漂う魂……
 深き者……たゆとうもの……暗闇の底……

 ――光届かぬもの、暗き淵より出しもの、水底の悪魔――……

「……光届かぬもの、暗き淵より出しもの、水底の悪魔、フォモール……」
 レヴィンの言葉が消えたのとどちらが早かったろうか。
 力尽きたろうそくの明かりが、ふっ……と消えた。
(光届かぬもの……?)
 暗闇の中でラヴェルが最後の一節を反芻していると、淡い光が灯った。
 燐光のように淡い蒼。
 その神秘的な輝きは、レヴィンの手のひらにあった。
 先程まで彼の胸元で光っていたクリスタルのかけらのペンダントのようだ。
 その輝きは淡くはかなげで、どことなく懐かしいような優しさと、何かを感じる悲しさをたたえていた。
 ぼんやりとその輝きに見とれているラヴェルの目の前に、突然その光はぶら下げられた。
「……やろうか?」
「え?」
 ラヴェルは一瞬戸惑うと、まじまじとレヴィンの顔を見た。
「大切な物なんじゃ……?」
「もういい……いまさら持っていてもしょうがない」
 それは相変わらずラヴェルの目の前で清らかな輝きを放っている。
 とてつもなく惹きつけられる光にラヴェルはしばらく考えたが、やがて首を横に振った。
「いいよ、僕は。水晶のかけらなら僕も持ってるから。僕のはそんなに綺麗な物じゃないし、ただの透き通った石だけどね。ほら」
 ラヴェルは腰に手をやった。
 お守り代わりにずっと下げていた水晶の欠片をとってみせる。
 結晶の一房どころか完全に欠片であるが、それはレヴィンのクリスタルの光を受けて僅かに輝いた。
 レヴィンは押し黙ってそれを見つめた。
 何故かその視線に不審の色を感じたが、やがてレヴィンはふっと視線から力を抜いた。
「……そうだな、お前にやっても、お守りくらいにしかならんな」
 手の中のものを胸元へしまいこむと、レヴィンはしばらく目を閉じた。
「一つ言っておく事がある」
 再び目を開けてレヴィンはラヴェルを見つめた。
 その表情は妙にさばさばしていた。
「はっきり言おう。俺はもうそんなに長くはないだろう。さっきのあれもそうだが……お前も見ただろう。あの時……バンシーは誰の服を洗っていた? 町でお前は何の影を見た?」
「………………」
「そんなにすぐだとは思わん。だが半年はもつまい。取りあえず次の洞窟まではついて行こう。うさん臭い魔力がこの辺りには満ちている。何か出てきたら、お前達では太刀打ちできまい。しばらくは俺が護衛してやる。だが探検を終えたら、時を見計らって俺は一行を外れることにしよう。余り快く思われてもいないしな」
 レヴィンの胸元にあった光がすっと消えた。
 その代わりにレヴィンはそれと同じような輝きの光を手から生み出した。
 クレイルの光とは何かが違う。
 クレイルの生み出す光が太陽ならば、レヴィンの手にあるそれは月か星のようだった。
「それから、良く思われていないといえば、あいつがいたろう、ディアスポラの……聖騎士などと呼ばれているそうだが……クヤンといったか、あいつにさっきの古い詩を聞かせてはいけない。奴にとっては迫害の対象物についての言い伝えだからな。お前まで追われかねん」
「レヴィンはいろいろ知ってるんだね」
「知ってはいけないことばかりさ。ただ、知った以上は伝えていかなければならない。吟遊詩人をやっている以上はな。それはお前もそうだが……さて、お前にそれだけの覚悟があるか?」
「………………」
 ラヴェルはしばらく考えた。
 恐らく旅に出てからこれほど真剣に考えたことはなかっただろう。考えに考えて、やっと答えを出した。
「僕はただ歌うことが好きで詩人になったけど……今まで旅をしてみて、あちこちでいろんなことを見たり聞いたりして、大変なこともあったけど、旅に出てみて良かったと思ってる。シレジアにいた時は屋敷や城にいただけだからただ何も考えずに歌ってれば良かったけど、旅に出てみたら知らないことばかりだし、自分で実際に見聞きしちゃったし……」
 ラヴェルは吟遊詩人とはいえトルヴァドール、もともとは各地の城や貴族の屋敷を回って叙事詩や抒情詩、愛の歌や英雄譚に多少慣れ親しんでいた程度で、見知らぬ土地を伝説を追いかけて巡り、忘れ去られた歴史や言い伝えを聞き覚え、後世に歌い継いで行くバードとは意識が違った。
 もちろん歌のネタは欲しいし、興味本位で国外へ足を伸ばしてみたが、歩いた土地は妖精伝説の残るケルティアに、ミドガルド太古のニブルヘイムやムスペルヘイムまで踏破、気付けば伝説の舞台に足跡を残していた。
 そしてその横には放浪し続けるバード、得体の知れぬレヴィンの姿が長いことあった。
「うん、歌も前はただ好きなだけだったけど、でも、結局やっぱり、僕の中では歌が好きってことが一番大切なことかな。そりゃまだ色々ヘタだけど、見聞きしたこと、たくさんの人に聞いて欲しいんだ。歌えなきゃ、誰かに聞いてもらって伝わっていかなくちゃ、後には何も残らない。僕はまだずっと歌い続けていく」
「言い切ったな」
 ふう、とレヴィンはため息をついた。
「ふふ、少しは成長したか。いいだろう、俺の知ってることを片っ端から話してやろう。アスガルドのことも含めてな。ただし、知ったお前に危険が及ぶようなことは除く。それを話すにはまだお前は弱すぎる……」



 神々の箱庭。
 古来よりミドガルド世界はそう呼ばれ、その空には霊気が満ち溢れ、アスの国々、つまりアスガルドが浮かび漂っている。
 古代のミドガルドは何の変哲もない世界だったが、ある時、強力な術……後に禁呪と呼ばれるに至った魔法の制御に失敗した魔導士のせいで大地が吹き飛んだ。
 吹き飛ばされた地形は宙に舞い上がり、その時の狂った魔力によって、やがて空の高みを浮遊し始める。
 アスの国々のすぐ下を漂い始めたそれらは地上の人間達に天空界と呼ばれるに至り、天津国アスガルドと一つになって今でも空を漂い続けている。

「……これが現在のアスガルドだ。創世記とは違うが、まぁ似たようなものか」
「他には?」
 レヴィンは目を閉じると歌うようにつぶやき始めた。


 月と星々の光り受け、輝く雲の海は空の高みをたゆとう
 光のヴェール脱ぎ捨て、やがて波間に姿見せるは
 厳かなる神の言葉、失われし社
 白き翼行き交い
 漂う小島を結び渡るは空行く船
 また日の昇るまで雲と星の海を行く

「あ、それ、聞いたことあるよ」
「ん? そうか……。古くから伝わる言い伝えだ」
 外を風が吹き渡って行く。
 その音の切れ間にサラサラとせせらぎの音が混じる。気温が下がったのか、その音には透明感が増している。
「白き翼、か。多分お前達が思っている天空人のイメージは彼らなのだろうな」
「何それ?」
「アスガルドの下の島々、つまり吹き飛んできた連中がミドガルドだった当時から細々と生きている種族さ。雪のように白い肌、月光のような銀髪、背には一対の白い翼。もともとは高い山にペガサス達と平和に暮らしていた、魔法に長けた奴らさ」
「天空人……そうかもね。そういうイメージが一般的だもの。ここでは」
「そうらしいがな。ほとんどの住人はミドガルドの大地と共に吹き飛ばされてきた人間の生き残りだ。そこらにいる連中と大差ない」
 レヴィンの視線は、良く眠っているアルトとルキータに一瞬だけ注がれた。
「さて、だいぶ長話をしてしまったな。夜も更けた。我々も眠るとするか。明日の朝は早いのだろう?」
 レヴィンは手にした光を消すと、部屋の隅の床に腰を下ろした。
 ベッドはアルトとルキータが占領しているため、ラヴェルも部屋の隅の床にマントを広げると静かに横になった。
 湿り気のある木目をぼんやり見つめながら、レヴィンが今晩語った事を反芻してみる。
 天空界、神々の箱庭、雲の海、空行く船、白き翼。
(……あれ? そういえば最初の……何だっけ? クヤン様には話すなって言ってたけど)
 段々まぶたが重くなる。
(あ、そうだ。光届かぬ者、水底の……)



 ラヴェルが最後まで思い出せないでいるうちに、突然、耳にあきれたような声が飛び込んできた。
「起きろ寝坊助。いつまで寝ている」
「う〜〜ん……」
 ずり落ちた帽子をかぶり直して目をこする。まぶたが腫れぼったい。更にこすりながら見上げると、レヴィンが腕組みをして立っていた。
「呑気なヤツだな……。出発するのだろう?」
 いつの間にか眠っていたらしい。頭が重い。ぼんやりしながらもぐちゃぐちゃになった服を直す。
 主人はすでに畑へ出かけたとかで、家の中には一行の四人しかいない。
 暖炉を拝借して簡単な食事を済ませると、一行は出発した。
 目的の洞窟まであと半日ほどの距離だ。
 一軒家を出てみれば、目の前には朝霧に浮かぶ山々の姿が広がり、川面から立ち上ぼる淡い霧は白鳥の翼のように揺らめいている。
 街道から離れてしばらくすると、路面にゴツゴツした岩が顔を出し始めた。山道に入る。
 ラヴェルは地図を確かめると山林へ分け入った。
「えーと、西に向かって……?」
 木々の梢からのぞく太陽を頼りに方角を決める。そのまま歩を進め……。
「あった、あった。この大岩から今度は北へ……」
 風に木ががさっと鳴った。草がざわめく。風が通り過ぎてもなお草はざわざわとざわめき続けた。
 やがて根元に朽ちかけた古い十字架の立っている大木の横を通る。
「ここまで来ればもうすぐだね」
「へっヘッヘッ、お宝ちゃん、待っててね〜〜」
 アルトがニヘラニヘラしている。地図を確かめると、その大木を通り過ぎれば洞窟まで真っ直ぐだ。
「思ったより分かりやすくて良かっ……」
 歩きながらラヴェルはふと何かを感じた。辺りを見回すが何もいない。
 静かな森。
 草がざわめいているような気がしたが、風は今はない。
「気のせいかな??」
 気を取り直してまたしばらく歩いていると、今度は背中にゾクッとするものが走った。
 思わず立ち止まる。
「あら? ラヴェル、どうかしたの?」
「え? いや、何でもないよ」
 慌てて歩き出すと、レヴィンがそっと耳打ちしてきた。
「気をつけろ。精霊たちがざわめいている」
「え? 精霊って……えっ、レヴィン、もしかして精霊の声、聞くことができる?」
 精霊とはこの世界に宿る、妖精よりももっと自然の叡智に近い精神的な存在で、大地や風や、あらゆるものに宿っているといわれる。
 通常の人間にはそれを感じることは出来ず、もちろんその声を聞くことも出来ない。
 当たり前だがラヴェルにもその声は聞こえず、今まで精霊というものを意識したことはなかった。
「……当たり前だ、バカ。精霊の声を聞くことができなくてどうやって精霊魔法を使えと言うんだ?」
「えっ! レヴィンて精霊魔法が使えるの!?」
 ラヴェルは驚いて立ち止まった。つられてレヴィン、後ろの二人も立ち止まる。
「今まで散々目にして来たろう? 見ていなかったのか?」
「えっ……いつ使ったの?」
「昨日の晩も使っていた。精霊魔法と言ったら精霊に働きかけてその力を引き出し、自分のものとして扱うものだ。呼び出してこき使うこともできる」
 ブリザントなど、レヴィンが黒魔法を使うのは幾度となく見てきたが、精霊魔法を使っていることには気付かなかった。
 禁呪だと思っていたものも違ったようであるし、もしかすると今まで見てきた魔法のほとんどは精霊魔法だったのだろうか?
「じゃぁ、昨日の夜の雷とか吹雪って、黒魔法だと思ってたけど精霊魔法だった?」
「そういうことだ。見た目では区別はつけられんよ」
 そう言うとレヴィンは歩き出し……ラヴェルから五歩ほど前で思い出したように立ち止まった。
「そうそう、その様子だと森へ入ってから何か感じ取っているようだな。精霊魔法の素質が多少あるようだな」
「精霊魔法の……? 僕に?」
 精霊魔法。
 地水火風などを司る精霊の力を行使する魔法。高位の巫女や精霊使い、ケルティアのバードやドルイドが使う、そこらの魔法使いには手の届かない高位魔法。
「まさかぁ。だって、基本魔法って言われる五つの魔法だってうまく使えないんだよ?」
「精霊魔法はな、白魔法や黒魔法と違って努力次第で身に付けられるものではない。使うには素質が必要で、それは誰にでもあるものではない」
 確かに、努力次第で身に付けられるものならばもっと術士がいてもよさそうだが、言われてみれば精霊魔法を使う者にはなかなかお目にかかれない。
「まぁ、お前の程度では基本を習得するのに何十年も掛か……」
 そこまで言ってレヴィンはぎょっとしたように言葉を切った。
 黙りこむとまじまじとラヴェルを見つめる。
「ラヴェル、お前……」
 そう呟いたところでまたもレヴィンは黙り込んだ。
 何か考え込むように腕を組むが、腕を組んでいることに自分でも気付いていないようだった。
「いや、まさか、な……。……つじつまは合うな? ……いや、しかし……」
「どうしたんだい?」
 何故か狼狽したらしいレヴィンの様子をラヴェルは注視した。
 一体どうしたのだろうか?
「あれがそうね?」
 ルキータの声に二人揃って我に返る。
 森の奥に目をやれば、少し先に低い崖が見て取れた。
 その正面に、ぽっかりと大地への入り口が開いているではないか。
「よ〜〜し、行くぜ!」
 松明を用意し、先頭を切ってアルトが中へ入って行く。
 レヴィンに視線で促され、ラヴェルも歩き出した。
 別にただの洞窟に見えるが、レヴィンは精霊たちがざわめいているというし油断は出来まい。
「楽勝、楽勝、この分だとそんなに深い洞窟じゃあないぜ。見てろよ〜〜」
 こういうのはアルトの得意分野だ。松明で照らされている範囲内で、ヒョイヒョイと次々に足場を選んでいく。地下水で足下が滑りやすい。
 アルトの歩いたとおりにその後ろに続いていく。身軽なアルトの足取りは、軽快なタップダンスのようだ。
「うん、大丈夫そうだね」
 ラヴェルは洞窟内を見回した。
 土壌はかなり水分を含んでいるが、緩んでいる様子はない。おかしな空気がたまっている様子もなく、今のところは比較的安全だ。ゴブリンなどの気配もない。
 内部には大昔の火山が残した岩が転がっている。
 しばらく進むと松明を二本目に取り替え、更に奥へ。
 辺りの岩は黒くゴツゴツした古い溶岩が多くなってきた。
 前方にはやがて縦に細長く開けた空間が見えてきた。



 開けた空間に近づいて行くと、澱んではいないが空気の流れがほとんど止まっているようだった。
 どうやらあの空間が最深部のようだ。
 アルトの背丈くらいの段差を登り、またしばらく進んで行くと岩肌が赤っぽくなってくる。
 ふと、誰かが視界の隅を横切ったような気がした。
 とはいえ、やはり財宝の噂のある洞窟だけに以前にも多くの人間が踏み込んだらしい形跡があり、ラヴェルは他の冒険者の影だろうと気に留めずにいた。
 更に進んでいくと急に熱気が立ち込めた。地面や壁から湯気が立ち上ぼっている。
「温泉??」
 硫黄の匂いはしないし、レヴィンも何とも言わないので危険はなさそうだ。少なくとも悪いガスが発生している様子はない。
 試しに岩壁を滴っている液体に手を触れてみると、熱くはないが生ぬるく、舐めてみるとかすかにしょっぱく、鉄を含んだ味がした。
 濡れた通路が極端に狭くなった。
 人が一人通るには十分だが、二人擦れ違うことはできなそうだ。
 一人ずつ通り抜けるとそこは、先程から見えていた開けた空間であった。
「お宝はどこだ〜〜?」
 アルトが辺りを見回している。
 その空間は今まで一番広いが、行き止まりであった。
 正面の岩壁はとても高く、ここが地面のかなり深い部分であることを思い知らされる。
 鉄分を含んだ赤い岩肌の下には、薄く湯気の立ち上ぼる池。水色とはこの色のことを言うのか、薄青の水はとても透明度が高い。
「残念。また外れだったみたいだね」
 洞窟の最深部のこの空間にも、財宝らしきものは何も見当たらなかった。
 それでもあきらめがつかないのか、アルトはホールの中をあちこち調べ始めた。
「おい、これ見ろよ」
 何かを見つけたらしい。
 近づいて見てみるとそこの岩だけが取って付けたような違和感。
 試しに手を掛けてみると、岩はゴロンと転がった。
 その下に埋まるように、木製の箱が姿を見せている。
「よーし、お宝発見」
 アルトが短剣を使って掘り出すと、箱の中身がジャラジャラと金属質の音を響かせた。
「おっ、これはコインだぜ。この音は間違いねェ」
 どうやら宝箱はこれ一つだけのようで、財宝の洞窟、という噂ほどのお宝ではなさそうだが、それでも実際に見つけられたのだからたいしたものだ。
「へへ、けっこう入ってるぜ。早速開けて確かめよう」

 ぺきゃっ……

「おおっと」
 その木箱はかなり古いらしく、開けようとしたら蓋そのものが取れてしまった。鍵らしき金属の錆が見て取れるが、蓋ごと取れてしまえば鍵の役目はないも同然だ。
 しかも、かなり箱自体が腐っていたようで、それだけでぐずぐずとその箱は崩れてしまった。
 そしてその中身は。
 レヴィンがつぶやいた。
「……なるほど、結構入っているな。銀貨二十枚分といったところか」

 ………………。

 そう、だいたい銀貨二十枚分である。
 決して銀貨二十枚ではない。
 入っていたのは青銅貨であった。銀貨一枚は銅貨二十枚、銅貨一枚は青銅貨五枚……つまり宝箱の中にはコインが二千枚くらい。
「どーやって持って帰れと!?」
「箱もつぶれちゃったことだしね……」
 恐らく一行の中に日頃の行いが相当悪い奴がいるのだろう。
 しかも一人とは限らなそうだ。
 仕方ない、コインを人数分に分けると各自が金袋や財布に押し込む。頭数で割っても一人五百枚。
「入りきらないわね……」
「持てる範囲内ってことで……」
 興味がなさそうなレヴィン以外が四苦八苦している。
「僕はもういいや」
「あーあ、勿体ない。でも私もこれが限界ね」
 自分以外の三人がコインから手を引くと、アルトが突然元気になった。
「いやー、オレもこのままじゃあ入りきんねェぜ。……というわけで」
 いきなり服の内ポケットからずた袋を取り出した。
「……さすが盗賊、抜かりないわね……」
 アルトは自分の取り分はおろか、他の三人が残した分までかき集めた。
 おかげで他の仲間の取り分は微々たる物だったが、あまり取らなかったラヴェルですら、贅沢さえしなければ幾日も過せる額を手にしたのだから、悪い金額ではない。
「あれ?」
 ラヴェル達の前でアルトがお金を拾い集めきった時、また何かがラヴェルの視界をよぎった気がした。
 はっきりと見えたわけではないが、今度はしかし、気配を確かに感じ取った。
「ちょっと待ってみんな、何か、いる!」
 ラヴェルは背後に何か感じた。
 振り返って空間正面の高い壁面を探すラヴェルの両脇で、ルキータやアルトも視線をあちこちにめぐらせていた。
 何も見つけられなかったラヴェルは困ったようにレヴィンを見た。
 その時。
「きゃあああっ! 何あれ!」
 ラヴェルと入れ違いに壁面を見たルキータが悲鳴を上げた。
 彼女が指差したのは、ほとんど暗くて見えないが、壁面の最上部辺りだった。
 よく目を凝らしてみれば、黒い何かがもやもやと蠢いている。
「……下級の魔族だな」
 組んでいた腕を解きながらレヴィンがつぶやいた。
 その黒い物はやがてある姿をとると蜘蛛のように、つーーと壁面を下がってきた。そのまま下の水面上に降りるが、足は水に着いていない。握りこぶし一つ分ほど、水面から浮いている。
 人の形になったそれは、やがて赤い光を纏い始めた。
「ちょっと、レヴィン、あれ、もしかすると、僕達が町で遭ったやつ……」
 ラヴェルの声が恐怖でひび割れている。
 池の上の宙に浮いているのは紛れもなくレヴィンそのもの。
 しかし本人はラヴェルの横にいる。
「ドッペルゲンガーだな」
 本物のレヴィンはそうつぶやくと池に近づいていった。
 池の前でそれとにらみ合うように立ち止まる。
 見た目だけではどちらが本物か偽者か判別がつかない。
 二人の間で静かな殺気が渦巻く。今にも戦いになりそうな気配だが、どちらが勝つかはラヴェルにはわからなかった。
 確かドッペルゲンガーというのは化けた相手の能力を真似できるという話だ。
 レヴィンを真似るということは、彼の知りうる魔法を相手も使うということだ。
 下級とはいえ相手は魔族、いかなレヴィンが天空の出身とはいえ、彼よりも魔力は高いだろう。
 しかもここは洞窟内、あまり派手なことをされるとここにいる全員が洞窟ごと生き埋めになりかねない。
「出来るだけ穏便にね……」
「相手に聞いてくれ」
 もう一つの自分、もう一つの影。
 それはあることの予兆であるという。
 レヴィンの姿をとるそれは、青黒い瘴気のような魔力を手に集めだした。
 それを目にするとルキータは洞窟の入り口めがけて駆け出し、アルトは金袋を持ったまま石のように硬直して動かない。
「お前は下がっていろ」
 影と向かい合ったまま、レヴィンは背後のラヴェルの動きを制止した。
「こいつは俺がやる」
 レヴィンは手を額にやると、巻いてあった物を無造作に取り除いた。足下にくたびれた包帯と湿布がはらりと落ちる。
 それに構わずラヴェルは一歩前に出た。
「ああそうですか……って訳にもいかないね!」
 ラヴェルはレイピアを抜いた。
 魔族相手にこんなものが通用するとは思えないが、考えたくもない予感めいたものに何もしないではいられなかった。
「……すまない」
 レヴィンはあまり力の入っていない口調でそういうと振り向いた。
 珍しく、微かにほほ笑んでいるようにさえ見える表情だったが……ラヴェルはレイピアを手にしたまま体を強張らせた。
 ……初めて見た。
 レヴィンがいつも隠しているその顔の半面をラヴェルは見てしまった。
 今でも伸びた前髪のせいでほとんど見えないとはいえ、その下にあるもの……いつも布に巻かれて見ることのできないもう片方の目が、前髪の下で不気味な光を放っていた。
 それは……。



 レイピアを抜いたまま氷の彫像のように凍てついているラヴェルにはお構いなく、目の前で強力な魔力の応酬が始まった。
 洞窟内部で生き埋めになりかねないのは双方とも心得ているらしく、爆発系の技は出ず、冷気系の魔法が辺りに撒き散らされていく。
 熱いというほどではないにしろ洞窟内に吹き出す地熱がその威力を弱め、あまり魔法の効果は出ない。
 みぞれ交じりの吹雪や水しぶきを撒き散らす氷柱が飛び交うが、やがて二人とも戦法を変えた。
 耳の奥が痛くなるような妙な感覚に我に返ったラヴェルは慌てて身をかがめた。
 その瞬間、レヴィンの放った見えない刃の嵐が池の水飛沫を上げてドッペルゲンガーに襲い掛かった。
 逆に相手からはその時に飛び散った池の水が今度はこちらに向かって幾本もの矢になって飛んで来る。
 ラヴェルにはそれらを避けるのが精一杯だ。斬ってかかるのは無理のようだ。池に向かって突っ込む訳にもいかない。
 地響きに気付けば地面からレヴィンに向けて何本もの岩の槍が突き出ている。
 それを無造作にレヴィンは手で払った。
 たったそれだけで岩の槍は木っ端微塵に砕け散る。
 魔法の不発を悟った相手は一瞬姿を消し、次の瞬間、その空間内が爆発した。
「うわああああ!」
 ラヴェルはたまらずに悲鳴を上げた。
 とてつもないエネルギーの渦に放り込まれ、全身を焼き尽くされるような感覚が襲う。凄まじい圧迫感に吐き気を抑えきれない。
 洞窟もこの爆破には耐えられないだろう。
 激しい頭痛とめまいの中、ラヴェルは次に起こることを予感して天井を見上げた。
「……あれ?」
 何も起こらない。
 天井が崩れ落ちてくるかと思ったが、何の異常も起きなかった。
 確かに何か強い魔力が爆発した。
 しかし空間内は何も吹き飛ばされてはおらず、ラヴェルも特に怪我をしたわけでもなかった。ただ強い疲労感だけがある。
 振り返ってみればアルトが泡を吹いて倒れ、ルキータの姿は遥か彼方の暗闇に消えている。
 彼らの無事を確認して視線を戻せば……レヴィンだけが片膝をついて肩で息をしていた。
 どうやら今の魔法をまともに食らったらしい。
 ただ、外見上は特に傷はない。
「な……何が起こった??」
 恐る恐るラヴェルはレヴィンに近づいた。
 青い服が、ぐっしょりと汗に濡れている。
(……レヴィンが負けた?)
 地面についた膝が震えている。
 いつだったか、聖騎士と呼ばれるクヤンの魔法を軽く防いだ彼が、黒い甲冑に身を包むデュラハンを軽く消し去った彼が、負けることなどあるのだろうか?
 昨日の晩のやり取りを思い出す。

 ――そう長くは持たないだろう。

 予兆を示す魔物の出現。
 バンシー、デュラハン、そしてもう一人の自分、ドッペルゲンガー。
 つい思い浮かべた嫌な予感に背筋を冷たいものが流れた。
 ラヴェルは首を振って無理にその予感めいたものを振り払うと、レイピアを鞘に収めた。
 膝をついているレヴィンに手を添える。
「大丈夫かい?」
「バカ、近付くな」
 レヴィンは下を向いたまま顔を見せたがらない。向こうに行けとでもいうように大きく腕を振る。
 だがそれはラヴェルを追い払うためではなかった。
 腕の動きと共に空気がバキバキという音を立てて裂けた。
「なっ……!?」
 空間の裂け目から、肩口からザックリと斬りつけられたドッペルゲンガーが姿を現し、そのまま池に落下すると大きく水飛沫を上げ放った。
「か、勝った?」
「いや、まだだな」
 その言葉にラヴェルは緊張してレイピアを抜きなおした。
 レヴィンもよろっと立ち上がりながら何か呟いている。
 池の中からは再び影が姿を現した。
 恐らくそれが本体なのだろう、姿形を解くと、それは黒い霧のようなものに変化した。
 魔導士としての腕は超三流のラヴェルにも、そのモヤモヤの魔力がぐんぐん上がっているのがわかる。
 その霧が膨張しきった瞬間、今度はレヴィンが動いた。
 霧に向かい、空を縦になでるように手を動かす。
 何かをつぶやいていた静かな声が、打って変わって厳しく響いた。
「……アストラルフレア!!」



 世界が淡い朱鷺色にそまった。そのまま目の前が白くなる。
 ラヴェルは視界を奪われて立ち尽くした。しかし、何も見えていないはずなのに、静かな、それでいて刺すような銀色の光が見えた。いや、見えた気がした。
「な、何これ……」
 目を凝らす。
 しかし視界はただ白いだけで何も見えない。
 チカチカする目を思わずギュッとつぶる。
 ……見えた。
 そう思った瞬間、先程よりも強い衝撃が襲ってきた。
 目を開くと透明な淡い色合いの炎のようなものが爆発するかのように炸裂した。
 球状のそれは立て続けに三個、黒い霧に叩き付けられて空間内を爆散する。
 拡散するエネルギーの余波を受け、ラヴェルは胸の中がきしむような感覚を味わった。立っていられないほどの重い疲労感が全身を覆う。
 思わず座り込んだラヴェルの目に、砂のように消え崩れて行く黒い霧が見えた。
 これだけの爆発にもかかわらず、やはり洞窟の天井は降ってこなかった。
 やがて静寂が訪れる。
 ぱさ、という音にわれに帰ると、レヴィンが乱れた服装を直したところだった。額にはすでにいつものくたびれた包帯が巻かれているが、どういうわけか、前髪の下に手を当てている。
「痛いの……?」
「いや……」
 レヴィンはゆっくり首を左右に振った。
 どうやら前髪の下にあるものを見られたくないらしい。
 ラヴェルも先程ちらっと見たが、忘れることに決めていた。
 というより、それはさっさと忘れたいような不気味なものだった。
 右目とは全く異なる目。
 赤い瞳は薄く光を反射し、白目の部分は本来の色とは全く逆の色……夜空よりも暗い黒だった。
「それよりお前は大丈夫か」
「う、うん。なんとか……でも今の魔法は一体何?」
 物質的なダメージは一切ない。誰も怪我はしていないし、洞窟も微動だにせず。
 レヴィンは先程つぶやいていた言葉を再び繰り返した。

 明けと宵とを彷徨いし、流れゆく全ての魂魄(たましい)よ
 我が内に秘められしもの、目覚むれば淡く揺らめく炎となりて
 共に永久(とわ)の時を巡らん……

「魂……心??」
「そうだ。精神そのものを焼き尽くす魔法でアストラル・フレアという。物質や肉体的なものには効かず、魂や精神を持たないものにも効かない。奴が先に使って来たが、奴が使うには今ひとつ能力が足りなかったようだな」
 座り込んだままのラヴェルは洞窟内を見回した。
 なるほど、洞窟自体に崩れた形跡はない。あれだけの強力な魔法だが、岩盤には何の傷も与えなかったようだ。
「でも強力な魔法なんでしょ? 敵も一発で消えちゃったし」
「さっきも言った通り、精神そのものに作用する魔法だ、あのような下級魔族や幽霊などには致命傷になるだろうよ。とてつもなく強い魔族などは耐え切ることもあるかもしれないがな」
 精神に作用する魔法など、黒魔法にはほとんどない。
 せいぜい眠りを誘発するか思考を妨げるくらいだ。
「ふうん……精神に作用するってことはこれも精霊魔法なのかな」
「いや」
 レヴィンは首を振った。
 ややおいてから、彼はまっすぐラヴェルを見つめて今の魔法の正体を告げた。
「今のは古代魔法……つまり、禁呪の一つだ。威力は目で覚えておけ」
「……!?」
 とうとう。
 目にしたのだ。
 ラヴェルは目を見開いてレヴィンを見つめた。
 やはりこの男は禁呪を扱えたのだ。
 地上では絶えて久しいといわれる、制御に失敗すれば地上ごと吹き飛ばしかねない強力な古の魔法。
 扱いの難しさとあまりの威力、事実、古代のミドガルドを吹き飛ばしたゆえに禁呪と呼ばれるに至った魔法。
 そのうちの一つを、伝説の一部をまたもラヴェルはその目で確かめてしまったのだ。

 それは――忘れろ、と言うほうが無理だった。 つづく

<BEFORE   NEXT>

  目次   Novel   HOME         (C) Copy Right Ren.Inori 2001-2006 All Right Reserved.