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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜

第13話:邪眼(全編)

 交通の要所を避けることはかなりの遠回りになる。
 ディアスポラの中央部を避け、ラヴェルは南東から大きく回りこむ形で緑の野を歩いていた。
 このディアスポラと中央高地はそれぞれが本格的な内乱に突入している。
 教団の信徒か、地方領主の配下か、あるいはどこの町の住人か、どこに味方するのか。
 そんな情報ばかりが重要視されている。
 だが、平和であろうと戦時であろうと、ただ流れていくだけの者はどこの所属でもない。
 ラヴェルが向かっているのは祖国シレジアだった。
 かつてクヤンが海底神殿でレヴィンを倒した時、最後の瞬間に凄まじい魔力の嵐のようなものが周囲を覆い尽くした。
 そのためにラヴェルとクレイルは精神世界へ飛ばされ、何とか帰ってきたものの、戻ってみればクヤンもレヴィンもいなかった。
 むなしい廃墟となったその場を離れる際、クレイルが何か拾い上げたようだったが、ラヴェルはさして気に留めなかった。
 今思えば、あの時クレイルが見つけて持ち帰ったのはエクスカリバーだったのだろう。
 彼に会って確かめたいことがある。
 緑の野を夕焼けが赤く変えた。
 近くの町外れに宿を取り、二人は足を休めることにした。
 塩漬けの魚卵とリークをレモンとオリーブであえたサラダを前菜に選ぶとラヴェルは本格的にメニューとにらめっこを始めた。
 ディアスポラは魚介がおいしいが生憎と今いる場所は内陸だ。
「レヴィン、どうする?」
「適当に頼んでくれ」
 目が見えない相棒は目を閉じて頬杖を突いている。
 失った片目は跡が落ち着いてきたのか、レヴィンはもう包帯を巻いていなかった。
 力なく閉じた瞼に、前髪が自然に落ちかかっている。
 特に好き嫌いもなさそうだし、ラヴェルは自分勝手にチョイスすると食事が運ばれてくるのをただ待った。
 羊の臓物のスープとヨーグルトソースをピタにつけて食べる。
「食べないの?」
 ラヴェルが半分以上平らげても、レヴィンはわずかに手を伸ばしただけだった。
 何か考え込むように動きを止めている。
「……見張られているな」
「えっ」
 ピタをくわえたままラヴェルは食堂内を見回した。
 特に怪しい人影は見つからないが、賑わっているのだから相当な数の人間がいるはずだ。
 何かが紛れていてもラヴェルには見つけられないというものだ。
「後をつけられたってこと? 最近多過ぎない?」
 中央高地で遭遇した黒ローブ、クヤンの幻影とその配下。
 レヴィンは表情を変えることこそしなかったが一瞬身を強張らせたようだった。
「……悪かったな」
 後をつけている存在の狙いはレヴィンだ。
 彼と共にいる限り、何かに追われるのは承知済みだったはずだ。
 失言を悟るとラヴェルはピタを持っていた手を降ろした。
「……ごめん」
「ふん……」
 ラヴェルが祖国を経つ際、レヴィンは自分についてくるとろくなことがないと忠告していた。
 それを無理矢理ついて来たのだ。
 嫌なら別れればいい。
 決定的な一言を言われるのではとラヴェルは身構えたが、レヴィンはそれ以上何も言わなかった。
 ただ、その晩ずっと気まずかった。



 ディアスポラのほとんどは牧歌的な平原に覆われているが、北部や東部の一部には小規模ながらも山道が続いている。
 低山沿いにラヴェルは街道を北上した。
 この辺りは各地方の豪族の力が強く、教団の影響力は小さい。
 昼食を摂りに立ち寄った町で、ラヴェルは妙な噂を耳にした。
「まただとよ。詩人さんも気をつけな」
「はぁ……?」
 最近町でよく人が倒れるらしい。
 倒れたからといってどうということではないらしいが、とにかく何かに眩んだように突然倒れるのだという。
 施療院に担ぎ込んでも原因は不明で、倒れた本人も意識が戻ればけろっとしているらしいから害はないのだろうが、立て続けに起きるとさすがに気味が悪い。
「この近辺の町でもあるらしいぜ。何の流行り病だかな」
「ただの目眩とか立ちくらみじゃないんですか?」
「さぁな、とにかく不明らしいぜ」
 食堂を出れば相変わらず乾いた青い空が頭上を覆っている。
 爽やかな気候に鼻歌など歌いながらラヴェルは通りを歩いていたが、不意に足元を踏み抜いたような感覚に慌てて立ち止まった。
「ぎゃんっ!?」
 自分の悲鳴が他人事のように聞こえる。
 激しい目眩と頭を殴られたような痛みに身動きが取れない。
「……ラヴェル?」
 探るような声で呼ばれ、ラヴェルはようやく我に返った。
 いつの間にか地面に倒れていたようだ。
 顔面に石畳の模様を深く刻み込むとむっくりと起き上がる。
 額に手をやれば巨大なコブが硬く腫れ上がっている。
 どうやら何かに幻惑されたらしい。
 野次馬が辺りに集まってくる中、レヴィンは何かの気配を探るような様子を見せていたがやがて頭を横に振った。
「怪しい奴は見つからんな……」
「うう、何だったんだ、今の」
 ラヴェルが無事と見ると野次馬もあっさりと去っていった。
 それらが姿を消すと、レヴィンはもう一度周囲を探り、今度は何かを見つけたようだった。
「ラヴェル、あの辺りに何かないか?」
 見えない視線でその方向を指し示すレヴィンに従い、ラヴェルは通り沿いの古そうな土産物屋に目をやった。
 店の軒先に何かぶら下がっている。
「ちょっと見てくる……何だろう?」
 ラヴェルが近づけば、それは瑪瑙で作られたお守りのようだった。
「お守りみたいだよ。青い石でできた目の玉みたいな模様の」
 それは大人の手くらいの大きさの青い石に白と緑の石をはめ込み、藁と小枝で飾ったお守りだった。
「邪視除けか……なるほどな」
「??」
 邪視というのは昔からあるまじないで、恨みや呪いなどの感情を持った視線で相手を睨むという単純なものだ。
 それを避けるにはもっと強い視線で睨み返せばいいという発想で、こういった目をかたどったお守りが作られるらしい。
 もっともラヴェルは目のモチーフを見ると別の物を思い浮かべてしまうのだが。
「邪視使いが近くにいるようだ……気をつけたほうがいい」
 町で人が倒れるのは邪視のせいなのだろうか。
 物理的に激しく痛む頭をさすりながらラヴェルは再び歩き出した。
 緩やかな丘陵地帯を進んでいく。
 日が暮れ、二人は山あいの小さな宿場町で夜を明かすことにした。
 ベッドの上に荷物を広げる。
「いッた!?」
 裾のほつれたマントを繕いながら、ラヴェルは指まで縫いつけた。
 指をなめながらなんとか仕上げると、見計らったようにレヴィンが声を掛けた。
「ちょっと貸せ」
 小さな針と糸を貸すと、レヴィンも何か繕い始めた。
 目が見えない割には器用に縫い取っている。
 手持ち無沙汰になったラヴェルはそのまま毛布を被って眠りついた。



 翌朝も爽やかな陽気だった。
 木立と岩が周囲を覆うという、ディアスポラらしからぬ道を進み、峠の茶屋で一服する。
 埃のついた五弦琴の表面をレヴィンは軽く手で拭った。
 一体どこに隠し持っていたのか、久しぶりに見る古い形式の竪琴だ。
 左手の布グローブの甲にバロールを思わせる目の模様が縫い取られている。
 昨日の一晩だけで刺繍したらしい。
 ラヴェルがちょっとクセのあるチャイを飲んでいると、レヴィンが急に腰を浮かせた。
 臨戦態勢だ。
「レヴィン?」
「見られている」
「え?」
 切子の入った小さいグラスを置くとラヴェルも慌てて立ち上がった。
 周囲を見回すがラヴェルの目では怪しい存在は見て取れない。
 二人はすぐにその場を離れた。
 ゆるい坂道を下り、やがて古びた石碑の前に差し掛かる。
「……ッ」
 レヴィンがかすかによろめいた。
 ひどい頭痛でもするのか、額に手をやる。
「レヴィン、どうし……〜〜ぃぅ!?」
 立ち止まったラヴェルも声を掛け終わるより早く凄まじい頭痛に襲われた。
 耐え切れずに派手にその場に転がる。
 レヴィンの腕が振られた。
 振り向きもせず、魔力を放出する。
 砂嵐が周囲を多い、ラヴェルの視界を奪った。
「バーストフレア!」
 褐色に濁って何も見えない中からレヴィンは爆発を仕掛けた。
「ひゃうっ!?」
 ラヴェルは巻き添えに砂まみれになり、慌てて距離をとった。
 砂埃が落ち着くと、山道には妙な影が射していた。
 一見すると普通の人間に見えるが……よく見れば違う。
「ぎゃー! 目がいっぱい!」
 思わずラヴェルは腰を抜かした。
 せっかく立ち上がったのに再び尻餅をついて地面に転がる。
 レヴィンの舌打ちがかすかに聞こえた。
「邪視使いではなくて本当の邪眼持ちか……」
 ラヴェルが怯えながらも観察してみれば、その妙な人影は両の目は閉じていた。
 だがその額に一つと両の手のひらにも目があるではないか。
「目をよこせ」
 妙にねっとりとした声でその怪物は一歩近づいた。
 横に一歩レヴィンは間合いを変える。
「くれてやりたいのはやまやまだが生憎取り出せなくてな」
 瞳を一つ失ってもまだバロールの存在は彼の中にいる。
 目の前の怪物がバロール狙いかそうでないかはわからないが、敵であることは確かだ。
 敵の目が妖しく光った。
「いぐっ」
 ラヴェルはまたも幻惑され、地面に突っ伏した。
 どうやら近隣の町で人が倒れているのはこの怪物のせいであるようだ。
 レヴィンは邪視に耐えると炎を投げつけた。
 敵からも魔力が発せられる。
「!」
 迎え撃つことはせずレヴィンは身を避けた。
 敵が魔法を連打してくる。
「チッ……」
 両の手のひらを向け、レヴィンは手加減無しにそれを叩きつける。
「ドンナァ!」
 ほとばしった雷撃が激しく光を明滅させる。
 奇声を発して敵がすべての目を閉じた。
 ちらとレヴィンが見えない視線を己の手に向けた。
 どこか忌々しそうな表情が顔に浮かぶ。
 距離を稼ぐとレヴィンはラヴェルの襟首を乱暴に掴んだ。
「おい、前から確めようと思ってたんだが、お前、俺が寝ている間に何か飲ませたか?」
「え、ええと」
 襟に指を突っ込んで気道を確保するとラヴェルは何とか声を絞り出した。
「えーと、幻想の花?」
 答え終わると同時、頭に拳骨が容赦なく加えられた。
「余計なものを飲ませやがって。あれはな、長期間魔力が下がるんだ」
 助けたのに文句を言われながら、ラヴェルは言い訳がましく頬を指で掻いた。
「だってあれならすぐ治るってファーガスさんが……」
 舌打ちを漏らすとレヴィンはラヴェルを放り出した。
 それが地面と接吻している間にも魔法の応酬に入っている。
 目が見えないレヴィンには相手が放ってくるものが炎か雷撃かの見分けはもちろんつかない。
 ただ魔力の濃さだけで危険かどうかを判断するしかない。
 いつもならこれくらいの怪物など軽く圧倒できるレヴィンだが、今は互角だ。
 全力で魔法を放つが、以前見えた目が見えない以上、全身の感覚だけで間合いの判断や回避を行わなければならない。
 かといってそれらに気を取られれば魔法に割く集中力を控えなければならない。
「クッ……」
 幻惑にめまいを覚え、レヴィンはかろうじて踏みとどまった。
「……ブラストフレア!」
「いきゃーーーー!」
 ラヴェルの悲鳴が放物線を描いている。
 レヴィンは自分を中心に爆風を撒き散らした。
 あたり構わず全てを吹き飛ばす。
 岩の向こうにラヴェルの情けない呻き声が落下した。
 その逆方向に魔力の発生源を感じ取る。
 敵の位置を断定するとレヴィンは左の手の甲を向けた。
 布のグローブに縫い取られた目の模様が怪しい光を放つ。
 襲い掛かってきた魔力がそれに触れるな否や、襲い掛かってきた魔力は自らの発生源へ弾き返された。
 邪視返しだ。
 己の放った邪視を額と手のひらの全ての目で捉え、怪物は絶叫をあけて仰け反った。
 潰れた目から血を吹き出しながら、怪物はレヴィンを睨んだ。
 妙な光線がレヴィンに浴びせられる。
「レヴィン!」
「ッ!」



 避けきれずレヴィンはよろめいた。
 酸でもかぶったように全身から湯気が上る。
 ラヴェルは二人から視線をそむけ、草むらに倒れるように身を投げた。
 敵が閉じていた本来の両目を開く。
 瞼の下には片目に三つずつの瞳が怪しくぎらついている。
「キケケケケケ」
 奇声と共に怪物は妙な魔力を放った。
 赤っぽい陽炎が景色を透かして揺らぐ。
 よろめきながらレヴィンは数歩下がった。
 己の魔力が激しく低下している上、この怪物は並み以上の強さと相当な魔力を持っている。
 今のレヴィンは並の人間程度の力しか出せずにいる。
 陽炎が感覚を惑わせ、敵の位置を断定できない。
 その間にも幻惑は続いている。
 頭痛と目眩にレヴィンの膝が折れかかった。
 襲い掛かり、吹き荒れる魔力が爆発的に威力を増した。
「…………ッ!!」

 トドメが来る。

 レヴィンは本能的にそれを悟った。
 冷静でいるつもりだったが、胸の鼓動が一つ、大きく打った。
 己の中で何かが軋む。
「レヴィン!」
 避けろと言おうとしてラヴェルは口をつぐんだ。
 見てはいけないものに視線を奪われる。
 レヴィンの薄紫色の瞳が妙な赤い色に光ったのだ。
 鋭く深く息を吐きながらレヴィンは目を上げた。
 敵の場所もわからないのに無意識に両手を掲げる。
「……タイダルウェイブ!!」
 轟音と共に大波が襲い掛かった。
 岩を砕き地面を削り、木の根を洗い流し、濁流となった波に木立が飲まれて折れていく。
 魔力を宿して赤く輝く瞳。
 それに呼び覚まされたかのように、暗く窪んでいたもう片方の眼窩にも怪しい輝きが生まれる。
 本能的に危機を感じた何かが目を覚ましたのだ。
 ラヴェルが息を飲む前でレヴィンは敵を注視していた。

 見える。

 津波の中で身を激しくよじる相手を前にレヴィンはそれを唱えた。
「明けと宵とを彷徨いし、流れゆく全ての魂魄よ……」
 視界が淡い朱鷺色に明滅した。
 景色を薄く透かしつつも破壊的な力を持つ炎だ。
「アストラルフレア!!」
 精神そのものを打ち砕く禁呪。
 耳障りな絶叫が抉れた道にこだました。
 腕を痙攣させ、邪眼持ちの怪物は地面に崩れ落ちた。
 干からびるように大地にへばりつき、やがて塵のように消え果てる。
「……レヴィン?」
 レヴィンは水溜りに映った己の姿を無言で見つめていた。
 ラヴェルが恐る恐る声を掛けるとレヴィンは額に手をやる。
 自然に分かれていた前髪を無理矢理おろすと顔の半分を隠してしまった。
 失って空洞になっていた眼窩に、魔の瞳が再び姿を覗かせたのだ。
「……大丈夫?」
 探るように掛けられた声にレヴィンは振り向いた。
 軽く首を横に振る。
「ああ。……元に戻っただけさ」
「…………」
 何か言おうとしたがラヴェルは失敗して沈黙した。
 立ち尽くすラヴェルにレヴィンは背を向けた。
「……行くぞ」
「う、うん……」
 ラヴェルは慌てて歩き出し、一度振り向いた。
 濡れた大地に、ヒビの入った石碑が倒れている。
 そこには削れて効力を失った封印の呪文と、三つの目の模様がうっすらと刻み込まれていた。

つづく

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