がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜
第14話:風(前編)
路地のように見えてもれっきとした大通りだ。
こじんまりとしたブレスラウはこれでも一国の王都である。
細かな石畳の急な坂を上れば、そこには瀟洒なシレジアの王城が木立の中に静かにたたずんでいる。
「刃こぼれ一つしてなかったよ」
焼きたてのケーキを頬張りながらクレイルは答えた。
キルシュで溶いたシロップをたっぷりと染み込ませたケーキはしっとりと馴染んでいて紅茶に良く似合う。
森と湖の国、そして芸術と学問の王国シレジアの王城はいつも全く変わらない。
国王の自室にはクレイルの他にラヴェルとレヴィンの姿しかない。
クヤンの佩いていた王者の剣エクスカリバー。
その剣がどうなったかでクヤンと思しき存在の正体を測ろうとするが、断定は出来ないかもしれない。
クヤンがレヴィンを倒して自らも消え果た時、その場には剣が忘れ去られたように残されていた。
余波で送り込まれた精神世界から帰ったクレイルが去り際に見つけてひそかに持ち帰ったのが、今のアルスターに残っているはずの剣だった。
「そうだねぇ……まず海底の神殿でクヤン様が死んだのは確かだよ。天空で戦った時にはエインヘリヤルになってたからねぇ。で、そのときに彼が手にしていたのは炎の剣だった」
エインヘリヤルは死んだ英雄をヴァルキュリーがウーデンの命令で天上へ運び去った存在だ。
死が前提になる以上、クヤンが死んだのは確実だと思っていいだろう。
「んー、ただ、何で降りてきたのか謎だよねぇ。確かにあの時は炎の天使が飛び交っていたけど。大神の命令ってわけでもなさそうだし」
エインヘリヤルになったクヤンは手に炎の剣を持っていた。
天魔など、天上界の使いの象徴ともいえるのが炎の武器だ。
「じゃぁ王子、クヤン様がエインヘリヤルになっている、ってことは断定できるんですよね?」
「うん」
もぐもぐと口の中のものを飲み込むとクレイルは紅茶で一息ついた。
「でもあれ以降見かけないなぁ」
クレイルが最後にクヤンを見たのは半年以上も前、しかもそのときの聖騎士はエインヘリヤルとなり、炎の剣を手にしていた。
現在とて、国境付近の森でラヴェルがクヤンの一団と遭遇したあとは、シレジアの国内ではそれらしき存在は見つかっていない。
「ディアスポラも今は戦争中だからレヴィンどころではないみたいだしねぇ」
そう続け、クレイルはカップをソーサーに戻した。
「で、エクスカリバーがどうかしたのかな?」
エクスカリバーは円卓会議以降、アルスターの城にあるはずだった。
しかし国境の森で襲いかかってきたクヤンの手にかの名剣は握られていた。
つまりクヤンが一度アルスターに戻っているということになる。
実際問題、アルスターの件の岩に剣は刺さっていなかった。
だが、崩御したはずの先王が生きて戻れば国は大騒ぎになっているはずだが、その様子はなかった。
クヤンの代わりにそこを治めているのは王女ニニアだ。
「城にあの剣はなかった。怪しいと思わないか」
応じたのはレヴィンだった。
「クヤンが死んだにもかかわらず、ケルティアは沈黙を保っている。ディアスポラはくだらん内乱になっているようだが……何故ケルティアでは誰もクヤンの死の真相を調べない?」
欲に荒れるディアスポラは死んだ存在などそっちのけなのかもしれない。
だがケルティアの様子もおかしい。
平和すぎるのだ。
「緘口令でも敷かれているのかと思ったがそういうわけでもなさそうだ」
国王が死んだというのに誰も騒がない。
アルスターの城の静けさは喪中なのかと思ったが、どうも雰囲気が違った。
城全体が眠っているみたいだと表現したのはファーガスだったか。
堂々と何度も出入りを繰り返しているにもかかわらず、追っ手らしい追っ手は姿を見せない。
追手かと思った者もいたが、単に魔力の高い存在を求めていただけでクヤンとは関係なく、クヤンがらみなのは国境の森の存在だけだった。
紅茶を降ろしクレイルは目をぱちくりさせた。
「んーつまり、クヤン様が死んだこと自体が……」
「なかったことになっている、そう思わないか?」
「ちょっと待って」
二人の会話をラヴェルは止めた。
「でも変だよ、次の国王を決める会議があったじゃないか。少なくとも各地方の代表は認識してるはず」
「じゃぁ何故騒ぎにならない?」
「う」
会議の際のアルスター城は落ち着き払っていた。
喪中を示す半旗がなければ衛兵達の様子も常時と何の変化もなかった。
クヤンの死の真相を知っているフィンとホリンはラヴェルの仲間でもあり、事実を黙っているのは理解できる。
だが、クヤンの良き相談役だったといわれるマンスターのロンフォール卿や、何事も大げさなミーズの勇者コナルが黙っているのは腑に落ちない。
まして弟を失ったはずのニニアからは悲壮感などこれっぽっちも感じないのだ。
「ああ、それなんだけど」
クレイルが細めていた目を更にすっと細めた。
「ニニアさんて、クヤン様が生きてた頃にはまったく知られていなかった存在なんだよねぇ」
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ラヴェルがクレイルに視線を向けると、クレイルはどこか面白がるような光を目に映していた。
「ケルティアは男系優先とかの制約は皆無だから、クヤン様よりも年上である彼女が王様になってるほうが自然なんだよ」
実際、ケルティアの歴史には有名な女王の話が多く残されている。
「クヤン様なんて若いときに国を出ちゃってるし、どう考えても彼女のほうが玉座に近かったはず。せめて不在中に摂政になってるとかね」
ケーキの最後の一切れに手を伸ばし、ラヴェルは考えるように黙り込んだが、今度はレヴィンが口を開いた。
「……あの王女が怪しいな。俺は奴が幻の女王ではないかと思っているんだが」
「ふえ?」
クレイルとラヴェルは目をしばたかせた。
「幻の女王って……伝説の泉の貴婦人のことかい?」
「ああ」
背もたれから身を起こすとレヴィンは冷めた紅茶に目を落とした。
「エクスカリバーには二つの説がある。一つは岩に刺さっていたという話、もう一つは湖の女からもらったという話だ」
「あーそれなら」
口を湿らすとラヴェルはうなずいた。
「ファーガスさんも言ってたよ。幾つかの説があるって」
レヴィンは音もなく立ち上がると窓の外を見た。
日陰の梢が黒っぽく揺れている。
「……クヤンが実際に手にしていた剣は海底に沈んだ」
「え?」
赤に色を戻した瞳でレヴィンは木立を睨むように見つめた。
「幻影の中で見た。奴の剣は奴の死骸と共に海底に沈み……幻の女王に回収されている。その刃は見る影もなくボロボロだった。だが、幻影の中で元通りに戻りやがった」
「じゃぁ王子が拾ったのは?」
「女が修復した後の剣だろうな」
レヴィンが見たものはあくまで幻視だ。
どこまで信じていいのかわからないが、無視すべきものでもないだろう。
「本来、エクスカリバーという名の剣は存在しない」
「えぇっ!?」
今までの話と矛盾するような発言にラヴェルは紅茶を噴き出した。
慌てて口元を拭うと続きを促す。
「どういうこと?」
「エクスカリバーとは、名剣カリバーンを越える剣、という意味らしい。優れた剣につけられた称賛、あだ名のようなもんさ。実際、カリブルヌスやカラドボルグといった伝説の剣もエクスカリバーと呼ばれている」
名剣カリバーンは昔の王であるアーサーの剣で、今はマンスターに伝えられているというが定かではない。
「王の剣の伝説は数が多すぎてな、話が錯綜している。どれが真実なのかは俺にもわからん」
「そういえばファーガスさんもそう言ってたよ」
呻くとラヴェルは紅茶を飲み干した。
「でも何でそれがニニアさんに関係するの?」
エクスカリバーはケルティアでは王の証とされる剣だ。
それを所持する者があの国では王となれるのだ。
「クヤンの姉を名乗っているからな。クレイルが拾った剣はアルスターへ返されたが……」
なぜかアルスターにその剣はなかった。
王でなければ岩から抜けぬといわれる剣。
その場になかったということは誰かが抜いたということだ。
「会議の時は誰も抜けなかった。どこかの怪力バカは別としてな」
あの時ニニアも剣を抜こうとしたが抜けなかった。
「抜くことは誰にでもできるわけではない。だが……抜けぬフリなら誰にでもできる」
「あ……!」
レヴィンの指摘にラヴェルが息を飲む脇で、クレイルは何か紙に書いて見せた。
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我は貴きカリブルヌス
ふさわしき者の佩刀とならん
「王子、それは?」
「僕が拾った剣に刻まれていた言葉だよ」
そう答えるとクレイルは目を細めた。
「いや〜僕もやっぱり魔道士だねぇ。魔法の武器とか見るとさ、つい色々調べたくなっちゃうんだよ」
びっしりとメモが書き込まれた紙をクレイルは机の下から引っ張り出した。
「剣がふさわしい主人を選ぶっていうけどね。あの剣に触れてみればわかる。妙な気が流れ込んでくるんだ。敢えて言うなら魅了もしくは……傀儡の術。ふさわしい持ち主に従うどころか持ち主を操ってしまう、そんな力を感じたよ。あの剣は都合の良い持ち主を求めているんだろうね。それに」
お茶をおかわりするとクレイルはさらに続けた。
「あの剣ね、大幅に鍛え直された形跡があるんだ。使われたのは灰色銀……妖精の金属と噂される幻の鉱物なんだ。刻まれた言葉からして銘はカリブルヌス。伝説で湖の剣といわれる武器だね」
「湖の貴婦人がかつての王に与えたエクスカリバーだな」
元の所持者である女であれば当然、岩から剣も抜けるだろう。
「どうもあの王女、クヤンが死んでからこの世界に姿を現したように思える」
「いえてるね」
クレイルは同調して何かの書類をめくった。
「初めて公に姿を現したのがあの円卓会議なんだ。それ以前は名前すら知られていない」
しかしケルティアでは、以前からその存在があり、クヤンの後をついでアルスターを仕切っているのは極自然だというように受け入れられている。
「クヤン様の人気を考えれば、それまで知られていなかった彼女を民がすんなり受け入れるとは思えないんだよねぇ。不自然なくらい静かだよ」
まるでケルティアの国全体が沈黙と傀儡の魔法にかかっているようで気味が悪い。
ファーガスが感じたらしい異常な雰囲気はどうやら本物であるようだ。
「それと」
茶で口を休めるとクレイルは物騒な事実を告げた。
「妙な噂があるんだ。ケルティアの勇士名士が次々と倒れたり死んだりしてるってね。調べてみたらその通り。しかも」
大きく息を吸うとクレイルはラヴェルとレヴィンを交互に見やった。
「例の円卓会議のメンバーを覚えているかな? 元々伏せることが多かったクール卿は完全に寝たきりだって言うし、威勢の良かったコナル君も寝込んでるんだって。ロンフォール卿に至っては、ついさっき入ってきた情報なんだけど、親友に加勢するためにディアスポラに渡って、内乱に巻き込まれて亡くなったってさ」
「えっ!?」
そういえばファーガスが、その後にはホリンも、ケルティアで高名な戦士達が寝込んでいるようなことを言っていたか。
どこか憮然としたような表情をレヴィンが浮かべる。
「ふん、ではあの会議に出ていて無事なのはニニアとホリンだけというわけか」
「フィンは?」
「奴なら大丈夫だろう。代表はまだ親父だし、フィン自身も腕は確かだがまだ新米扱いだからな」
ラヴェルはケルティアの知人を片っ端から思い浮かべ、あることを思い出した。
「そういえばホリンが、コナルさんの件は呪いじゃないかって噂が立つ始末だって言ってた。病気で寝込むようなやつじゃないって。ファーガスさんもフィンにクールさんのは呪いだって断言してたよ」
胡散臭いものでも見るような視線をレヴィンはラヴェルに投げかけた。
「……おおかたあの女の仕業だろうよ。奴は相当な精霊使いだ。城に泊まったときに確かめた。ただの人間ではないのは間違いないだろうな」
レヴィンはニニアを妖精の女王ではないかと疑っているようだが、ラヴェルもまた一つの仮定が頭に浮かんだ。
「……ねぇ、幻の女王じゃなくて、ヴァルキリーということは考えられないかな?」
大神の使いともなる女神ヴァルキリー。
女神という言葉の美しさと裏腹に彼女は災いや死をもたらす。
天の神の一人でありながらも、呪いという禍々しいものにも長けている存在だ。
ラヴェルはそもそもエインヘリヤルと化したクヤンに関わるとすれば、幻の女王よりは戦女神のほうが近いのではないかと思った。
「どうだかな」
どちらにしろ、真相は人間にはわからないことだ。
天上界が手を伸ばしてきたのか、それとも妖精界か。
「クヤンを使って何を企んでいるやらな」
確めようにも天国へ逝くわけには行かない。
いや、行くのは度胸さえあれば簡単だが二度と帰ってこられまい。
だが今は確めなければ先へ進めまい。
「ヘルなら行ける」
低く呟いたレヴィンの声にラヴェルは顔を青ざめさせた。
「……余計行きたくないんですけど」
霧と夜の国ニブルヘイムの地に冥府があるという。
全ての死を視るという女王ヘルが住む場所だ。
女王ならクヤンの死も見ているはずだ。
彼女ならば何か知っているだろう。
次にどこへ向かうのかを本能的に悟りながら、ラヴェルは押し黙ったままレヴィンの青い背中を見つめた。
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やせ細った森林が囲む険しい山岳をラヴェルは抜けていた。
ほとんど獣道のようなそれは、シレジアと中央高地を高い山脈を越えて直接結ぶという、普通なら誰も歩きたがらない、忘れ去られたルートだ。
平地を歩くようにさっさと進んでいくレヴィンを必死で追いながらラヴェルはあることを考えていた。
思い切って尋ねてみる。
「……あの時レヴィンはどうなったの?」
あの時というのはかつて海底神殿でクヤンがレヴィンを倒し、自らも余波の衝撃に消滅した時のことだ。
水底の闇でおきた激しい戦いは相討ちではなかった。
あからさまにクヤンが勝っている。
ラヴェルもクレイルもレヴィンは死んだと確信していたし、クヤンも様子から察するにそう思っていただろう。
原因不明の余波の嵐が襲うまでしばらくの間があったが、それをレヴィンが自らの意思で起こしたとは考えにくい。
床に倒れたレヴィンはピクリとも動かず、血溜まりだけが凄まじい速さで広がっていた。
いつも胸元にかけているクリスタルの欠片のペンダントも粉々に砕け、原形すらとどめていなかったのだ。
クヤンはエインヘリヤルにされたようだから、死んでいるとはいえ第二の生を踏み出したといえるかもしれないが、レヴィンはどうなのだろうか。
魂は精霊らしいが身体が人間である以上、死から逃れることは出来ないはずだ。
「……さぁな。俺にもわからんよ」
どこか投げやりにレヴィンは答えた。
「気付いたら大樹の下でひっくり返っていた。どうやって移動したのかさっぱり覚えていない」
「大樹って……」
「宇宙樹さ」
全ての世界を繋ぐといわれる宇宙樹には、想像もつかないほどの生命があるといわれる。
その木に助けられたとでもいうのか。
少なくともエインヘリヤルになったわけではあるまい。
「うーん、じゃぁさ……」
少し考え込むとラヴェルはまた尋ねてみた。
「この前はどうなのさ。死んだのかと思ったよ。君は不死身なの?」
「まさか」
立ち止まるとレヴィンは空を見上げた。
薄い青空に雲がヴェールのように覆いを広げている。
「魂は滅ぼすことは難しい。食われちまえば駄目だがな。だが身体、命というのは限りがある。人の身にある以上、俺だって例外ではない」
本来精霊は肉体を持たない存在だ。
人間の目に見える精霊の姿は精神体で幻のようなものであり、いくらそれを傷つけてもその精霊を倒せるものではない。
「実は普段から精神体とか……?」
「そんな面倒臭い事、誰がするか」
即座に否定されラヴェルは呻いた。
いくら本性は精霊だといえ、今のレヴィンは人間に転生した存在だ。
天空で怪しい黒ローブに襲われた時、いや、今まで他にも何度か危ういことがあった。
今度ばかりはダメかと思っても気付けばレヴィンはそ知らぬ顔で戻って来ている。
レヴィンは己の胸に手を当てた。
その手を離すと、手のひらには青く澄み、しかしひどく割れたクリスタルのオーブが輝いている。
レヴィンの魂であり、精霊の本体であり、凄まじい魔力と精気を持つが故にバロールが食おうと狙っているもの。
ヒビが以前より増えているのは、バロールに対抗して負荷がかかっているためか。
「こいつはたとえ砕けても俺に意志があれば再び再生することが出来るのは知っているな?」
「うん」
大人しくうなずくとラヴェルは澄んだ輝きを見つめた。
オーブはかなり欠けている。
その一欠片をラヴェルが持っている以上、このオーブは他の全ての破片を集めても完全な姿になることはできないらしい。
「他の精霊と俺が違うとすれば、俺には人間の身体があることだろうな」
何も知らぬ者が見ればレヴィンは人間にしか見えない。
実際ラヴェルとて、外見だけではレヴィンと他の人間の差がわからない。
「精神体と肉体では精神体のほうが傷付け難いが、一度傷が付けば治りにくい。逆に肉体はもろいが傷はすぐに治る」
流れる雲の陰を眺め、レヴィンは静かに続けた。
「バロールが邪魔をしているためにてこずるが、俺はある程度だけなら身体と精神体を使い分けることが出来る。身体を損ねたら精神体を使って回復させればいい。もちろん傷がひどければ時間はかかるが、出来なくはない」
「うーん、でもそれだとさ」
ラヴェルはレヴィンとその手の中にある物を交互に見やった。
「そのオーブって普段は見えないけど身体の中に溶けてるんでしょ? 体がケガしたらそれも一緒に傷ついちゃうんじゃ?」
「ああ、そうだな」
「じゃぁどうやって回復するの」
海底で倒れたレヴィンは明らかに息絶えていたように見えた。
この前天空に行ったときは現場に居合わせなかったが、直後にセラフ姿のレヴィンを見ているから、精神体を駆使していたのは理解できる。
「これさ」
レヴィンは首に下げていたものを取って見せた。
それはクリスタルの欠片だ。
ペンダントのように常に胸元に光っているそれは、オーブの欠けている一欠片でもある。
「欠片相当の力しか発揮できんがな……それこそお守りみたいなもんさ」
過酷な旅を続けるがゆえ、いざという時のために割れたまま別々にしているのだろう。
だが、その本来の意味は、レヴィンが気が進まなそうに呟くまでラヴェルは思いもしなかった。
「……ケガなんかどうでもいい。もし身体を失ったとしてもだ」
元々レヴィンは物事に、いや、自分の生命にすらあまり執着していないように見える。
妙な達観は逆に想像を絶する危機を知っているからこそ得たものだ。
「俺の中にはバロールが住み着いている。奴の狙いは俺自身……精霊の魂そのものだ。この魂とバロールは常に俺の中に同居している。いつ食い尽くされてもおかしくはない」
ふうと溜息をつくとレヴィンは目をそらせた。
「もしオーブが食い尽くされても、他に一欠片でも残っていれば……」
「レヴィン……」
ぞっとしてラヴェルは絶句した。
事実はどうだか知らないが、命は死んでも魂は輪廻し、いつかまたどこかの世界に現れるという。
特に精霊はそういった存在であるらしい。
ましてレヴィンは本来ならば精霊セラフであったはずだ。
それゆえに魂であるオーブが食い尽くされれは、それは彼の存在そのものが消えることを意味している。
それは死ですらない、正真正銘の消滅だ。
何事にも冷めているように見えるレヴィンは、自分自身の危機すら他人事のような顔をしているように見えていた。
だが滅多に変わる事のない表情の向こう側に決して他人には理解しえぬ感情の渦があったようだ。
魂の一欠片を本体とは離しておく。
その行為は、それが有効かどうかはともかく、彼自身が滅びることを避けるためのものだ。
生きるため……それは逆に言うなら滅びを避けるため、だ。
何故避けるのか。
それはつまり、滅びを恐れているということだ。
達観を装って決して口にしないが、それがレヴィンの本心なのだろう。
あるいは彼自身がそれを自覚していないのか。
それきり黙りこむと二人はただひたすら山道を歩いた。
シレジア側の森林限界を抜け、険しい峰を避けて緩やかな尾根を伝い、瓦礫の中に揺れるコマクサを見ながら下ると今度は中央高地側の森へ入る。
やがて見えた巨大な風車と白い城壁の街に一泊すると、二人は中央高地を抜けて霧のまくミストラントへ降りた。
つづく
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