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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜

第15話:死者の女王(全編)

 どろりと黒い、闇そのもののような空気が重く満ちている。
 その中をラヴェルはレヴィンの後ろから進んだ。
 暗闇と鬼火、瘴気と闇の空間を抜け、やがて目の前には広間が姿を現した。
 肉のような赤さがひたすら不気味である。
「……生きた人間に我が姿をさらすとは」
 しわがれたような声に顔を上げると、広間の正面の玉座に何かが座っていた。
 死者の女王ヘル。
 その醜さゆえに天上界からウーデンに投げ落とされたという、神とも化け物ともつかぬ女王が目の前にいた。
 だが目の前の女王は陰気でありながらも威厳に満ち、その顔は美しくすらあった。
 金と銀に濁った瞳がどろりとした視線をレヴィンに向けた。
「……ウーデンのようだ」
「……なぜ?」
 独り言のようなヘルの言葉にレヴィンは問い返した。
 肉が露出したような頬を動かしながらヘルはゆっくりと答えた。
「青き衣を身に纏い、莫大な叡智と魔力を己が身に宿す……大いなる破壊者にて知恵の守護者、隻眼の王」
 女王の言葉を静かに聞き、やがてレヴィンは首を横に振った。
「別に俺は片目というわけではない」
 そう答えるとレヴィンは額に巻き、顔の半面と瞳を隠していたものを取り払った。 
 伸びきった前髪の下に、復活した禍々しい魔眼が怪しく閃く。
 一睨みで相手を滅ぼすというその目をヘルは正面から見返した。
 すと目を細める。
「……ほう……二つの魂を持つ身か」
 レヴィンの中にはバロールという存在が内包されている。
 それを見て取るとヘルは軽く手を掲げた。
 座れという合図らしい。
 招いてもいない客に、死者の女王は気分を害する様子はなかった。
 道中は険しかったとはいえ、館の入り口からここへすんなり通れたのは、彼女が来訪者を拒まなかったためかもしれない。
「命ある者は誰も……神すらもこの地には寄り付かぬ。物好きな者がいたものよ」
 女王の濁った瞳は久方ぶりの客人をどこか愛でているようにも感じる。
「楽にしてよいぞ」
 血か体液に濡れたように妙にぬるぬるする床に二人は腰を下ろした。
「して、人間が我に何の用か」
 問われ、レヴィンは答えた。
「妖精の庭ケルティアの王、エインヘリヤルのクヤン。同じくケルティアに現れた女ニニア。そいつらのことが聞きたい。奴らが何者なのか」
 レヴィンの問いにヘルは遠くを見るような目をし、しばし物思いにふけったようだった。
 やがて語りだす。
「クヤン……人間共に聖騎士と呼ばれた存在。奴は死に、フレイヤが選び連れ去った」
「……ならば問おう女王よ、いま地上で見かけるクヤンは何者か」
 その問いにヘルは目を閉じた。
 目以外の何かで世界を視ているのだろう。
「あれはクヤンではない。死した英雄は今、炎の剣を手に女神の元に仕えておる。今、現ち世に見えるは、残されたその者の意識の残骸を妖精の女王が取り込み、その魔力で作り上げた、いわば幻影」
「妖精の女王。ニニアだな」
 となればクヤンの幻影がつれていたディアスポラの騎士達もまた幻であろう。
 レヴィンの言葉にヘルはうなずいた。
「人間は湖の貴婦人ニムエと呼ぶ。真の名は妖精の女王ニァム……湖の女、幻の女王」



 真名を読み取るとヘルは瞳を開いた。
「あの娘は今までも幾度となくあの島に手を出してきた。一番影響を受けたのはアルスル。あの娘は妖精が鍛えた剣を王に渡し、剣はアルヘイムからミドガルドへ移った」
 アルヘイム、アールヴヘイム……それは直訳すれば妖精界のことだ。
「その剣というのは湖の貴婦人に授けられたという二本目のエクスカリバーだな?」
 厳密にはエクスカリバーと呼ばれた剣、それが湖の剣だ。
 名剣カリバーンを越える剣。
「いかにも」
 重くうなずくとヘルは濁った光を宿す目をレヴィンに向けた。
「あの剣を持つ者はニァムの意識の傘下に入る……知らぬうちに操られるのだ」
 妖精や精霊基本的にはは無邪気であり、良い存在だ。
 だが悪意がないが故に残酷なことも平気でやってのけ、意外としたたかでずるがしこい頭脳も持ち合わせている。
「アルフ、あるいはドゥエルガル、多くの妖精が力を貸す証として人間に剣を与えてきた」
 古代、剣は小人達から魔法の枝と呼ばれていたらしい。
 神々や巨人が持つという剣、レーヴァテインやガンバンテイン、ミストルテイン……その名の最後には必ず杖を示す言葉の名残が見える。
 そして杖の示すところは妖精の魔法だ。
「事実、妖精達は人間に力を貸してきた。だが」
 声を休ませ、しばし黙考すると女王は再び低く唸る様な声を発した。
「その実、自分に都合が良いよう、時には無意識の下から、剣を通じて奴らは人間を操るのだ」
 エクスカリバーにも妖精の影が付きまとう。
 歴代のケルティア王の証とされた剣だ。
 ならばクヤンにもその影響は及んでいたのかもしれない。
「英雄の数だけ剣はある」
 ケルティアにはヘルの言葉そのままの言葉が伝えられている。
 英雄の数だけ剣はある。
 名剣カリバーンを越えるほどの剣。
 無数のエクスカリバー伝説はそのためか。
 ラヴェルがケルティアの数多の伝説に思いを馳せているのを横目に、レヴィンは更なる質問を女王に投げかけた。
「妖精の女は何故いまさらケルティアに手を出している?」
 その問いに、ヘルは濁った目を暗い天上に向けた。
「ニァムの影響力は最近弱まっていた。力を与えていたクヤンがエリシエルの信徒となり、ヴァルハラの支配下に収まった故だ。そやつが死に、故に力の送り道が切れた。ならば剣を持てる新しい人形を探し、影響力を再び取り戻するときだと思うたのだろう」
 禍々しくも厳かなる女王に、ラヴェルは恐る恐る問いかけてみた。
「剣が本来はニニアさんの持ち物であるなら、どうしてお城で岩から剣を抜けなかったの?」
 その問いにヘルは目を閉じて答えた。
「抜けない振りだ。自分の手先となる人間の王が必要であるゆえに」
 抜けないフリなら誰でも出来るといったのはレヴィンだったろうか。
「ニニアさんの目的は何なの?」
 青き衣の半分にも満たぬ存在にヘルはかすかに視線を向けただけだったがやがて思いなおしたように答えた。
「アヴァロン。中津国のケルティアと妖精界を一つにするためだ。取り込んだ土地を豊かにし、そして己がその楽園の女王になる……それが目的だ。リールがマン島の、テスラがマーグ・メルの王になったように」
 幻を見透かしながらヘルは続けた。
「あの島は古来より妖精が我が物に引き込もうと争ってきた。その妖精の力は人間達にも
深く影響している。アルトニアはニァムが、レンスターはダヌが、マンスターはアーニャ、コナハトはメイヴが己の影響下においている」
 ケルティアが大きく分けて五つの地方に分かれていることは多くの人間が知っている。 その地方ごとの特色にラヴェルが思いを馳せていると、見透かしたようにヘルは語りだした。
「アーニャは穏やかで開放的だ。海にもかかわりのある娘。ダヌは多くの妖精の母。ケルティアの人間に神と崇められている多くの存在はダヌの子供。メイヴは激しい女で、もとは人間だった」
 そこで区切るとヘルはしばらく黙考した。
 やがて再び口を開く。
「それらと比べるとニァムは目立つまい。しかしその魔力は常に多くを惑わせてきた。故に奴はこうも呼ばれる……不幸と災いを招く者、すなわちデャドリゥと」
「…………!!」
 ヘルの言葉にラヴェルは背筋が凍りついた。



「心当たりがあるようじゃな」
 ケルティアの伝説に、不幸と災いを招く者、という意味の名前の娘が存在する。
 現代の言葉に訳せばそれはディドルーという音になる。
「ディドルー! ということは彼女がニァムなの!? じゃぁニニア王女と同一人物!?」
 一見すると大人しそうな精霊使いの姿はかりそめのものだったのか、もしくは己の分身、使い魔か何かだったのだろうか。
 のんきそうに見えてその実、能力の高さは言われて見れば隠し切れていなかったかもしれない。
 最初から何かの目的のためにラヴェル達に近づいてきたのか。
 王女ニニアの姿とて、もしかすると幻影かもしれない。
「アヴァロンの島へ行くならばあの娘に気をつけよ……そして」
 言葉を区切ったヘルはどこか苦しそうだった。
 しばし眠ったように休むと、女王はやがて自らを語りだした。
「我が故郷……ヴァルハラの館、神々の園。天の神が座を占めるそこは地の神にとって居心地がいいとは言い切れぬであろう。手を結びながらも腹を割らず、裏では対立してきた神々」
 瞳を怪しく、そしてどこか虚ろに輝かせながらヘルはレヴィンを見つめた。
「大地に住むダヌの一族と海に住むドムヌの一族の関係は、天の連中と地の連中との関係に似ている」
「ドムヌの一族……?」
 首をかしげるラヴェルを一瞥し、ヘルは陰気に呟いた。
「フォモール、そう呼ばれる一族。ダヌの一族が本来は妖精であって神ではないのと同じく、フォモールもまた必ずしも魔族とは言い切れぬ」
 光の女神ダヌ。
 ヘルの言葉通りとすれば彼女はレンスターを守護する存在だ。
 だがケルティア王国は光の神ルーとその母族であるダナン族を国津神と定めている。
「……クヤン本人はわからなくもないが、だがなぜニニアが俺を狙う?」
 ケルティア王であり聖騎士でもあったクヤンが魔物とされるフォモールを駆逐しようとするのはわからなくもない。
 だが湖の貴婦人には関係ないだろう。
 ヘルはしばらくレヴィンを見つめていたがやがて口を開いた。
「ヴァルハラがヴァンを求めるのはその力ゆえ。すなわち豊饒。ニァムもまた同じ……ぬしを、いや、ぬしの中にいる者を狙っているのだ。己の力にするために」
「バロールか」
 幾分殺気を帯びた低い声にヘルは重くうなずいた。
「……では北の岬で俺が幻視したものは」
 レヴィンの精神体をはさみ、その前後で湖の女王は別の何かと睨みあっていた。
 それは常にレヴィンに付きまとう幻影。
 レヴィンにバロールが憑いている限り、いくら追い払ってもいつの間にかまた現れる陽炎のような存在……ケフレンダという名の、人知れぬ存在だ。
 レヴィンの中にいるバロールを求める豊穣と大樹の女王。
 レヴィンが黙りこむとラヴェルはしばらく彼を見つめていたが、やがて死者の女王を見上げた。
「ダヌの一族は何で神様と呼ばれるの?」
 妖精でありながら神と呼ばれる存在の理由をラヴェルは尋ねた。
 ヘルは目を閉じ、かすかに頭を傾けた。
「人間達を支配するためには神を名乗ったほうが都合がいいらしい。人間の為政者も、己を神と結びつけることで統治がしやすいようだからな」
 人間はなぜか権威を笠に着たがる。
 自分は神から認められたということで正当性と力を誇示しようとしたのかもしれない。
「じゃぁフォモールが魔族とされたのはどうして?」
「ダナン達に都合の悪い存在を駆逐するには魔族としたほうがやりやすいのだろう。悪しき者とすれば絶やすことに反対するものもいまい……もちろんなかには本物の魔も含まれていたかもしれぬが」
 赤い闇を着、ヘルはしばらくまた黙考したようだった。
 やがてとつとつと語りだす。
「ヴァルハラは戦には長けるが地を潤し恵みを得る術は苦手だった。対立していた豊饒の種族ヴァンから人質を取り、その中には地に住むアルフの女王であるフレイヤも含まれていた」
 どこか陰気なものを声に含め、ヘルは忌々しそうに呟いた。
「ヴァルハラの住人ども」
 血がぬめるような悪臭が鼻をついた。



 ヘルが玉座から立ち上がる。
 目の前を覆った景色にラヴェルは危うく吐き気を抑え切れなくなるところだったが必死にこらえる。
 ヘルの下半身が目の前にあらわになっていた。
 腐った死者の崩れかけた肉だ。
 脚は原型をとどめず、溶けかけた肉が骨の上に植物の根か触手を思わせるように波打っている。
「我は醜いが故に天上から落とされた。神は美を好む。その美しさの基準は奴ら自身。心せよ。彼らは醜いものを憎むが、己よりもっと美しいものは更に憎む。妬む者に気をつけよ、美しき者よ」
 レヴィンに向けられた濁った瞳を彼は真っ直ぐ見返した。
「……何故俺がセラだと?」
 天空に住む精霊セラフ。
 その存在はニンフやエルフ同様、いや、それ以上の憧れを持って美しき者、貴き者と謳われる。
 警戒と殺気を隠しもしない来訪者にヘルはレヴィンが自覚していないものを見て取った。
「翼が見える」
「……何?」
 セラフには白い翼がある。
 だが青い背には何も生えていない。
 レヴィンはそれを隠しているわけではなく、人の身ではそれを持てないだけの話だ。
 もしそれが目に見て取れるとするならば、レヴィンが精霊としての力を放ったとき……精神体を解放した時だけだろう。
「……妖精界へ」
「え?」
 ヘルに背を向けたレヴィンにラヴェルは問い返した。
「どうして?」
「ニニアを潰さんとな」
 人間に語れる言葉は終わったのか、ヘルが暗闇の中に身を隠していく。
 それを背後に感じるとレヴィンは歩き出した。
「潰すって……勝てるの? だって妖精の女王だよ? 魔法の相性が悪いんじゃ?」
 レヴィンは多くの魔法に長けるが、一番得意とするのは精霊魔法だ。
 妖精の多くが簡単に操るそれでは、その女王に対抗するのは難しいのではないか。
 だが人間が編み出した物理的な黒魔法では精神体に多くを依存する妖精を滅ぼすことは出来まい。
「古代魔法がある」
 レヴィンの答えにラヴェルは激しく沈黙した。
 禁呪と呼ばれるそれは人間には扱えぬシロモノだ。
 今のミドガルドではセラフからの転生体であるレヴィンくらいしか扱える者はいないだろう。
「……連発できる?」
 遠慮がちの質問にレヴィンもしばらく黙った。
 ヘルの館を出、陰気な洞窟を抜ける。
「手加減無しで放てば三発が限度だな……セラになっちまえば関係ないが」
 再び光を取り戻した魔眼を持つとはいえ、魔眼から魔力を引き出すのは危険が過ぎる。
 まして治療で飲んだ薬草は、癒しと引き換えに魔力がしばらく低下する。
 冥府の闇を背後に二人は地上……ニブルヘイムとムスペルヘイムの間、暴風の吹き荒れる深いギンヌンガの地溝へ出た。
 赤く青く、炎と氷の色に明滅し激しい風が吹きすさぶ空をレヴィンは見上げる。
「やってみるまでさ」
 透明な魔力の塊が空に向かって放たれる。
 上空に消えていくアストラルフレアを、二人はただ黙って見上げた。

つづく

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