がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜   目次   Novel   Illust   MIDI   HOME       <BEFORE   NEXT>

がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜

第一話:妖精の庭(後編)

 この辺りは勝利のコナルをはじめ、高名な戦士がそれぞれ自分の小さな縄張りを治めている。
 だが、その影響力はそれこそ各々の小さな村一つか近隣の村まで程度、全体に少なからずの影響を及ぼしているのはむしろ、更に南のコノート地方全体をその支配下においている赤枝戦士団であった。
 ぼさぼさに逆毛だった髪が大きく揺れる。
「おう、久し振……へっ……へっくしょい!!!」
 そのミーズ地方とコノート地方のほぼ境界にある森に彼はキャンプを張っていた。
 ク・ホリン。
 猛犬のホリンとして知られる男で、その名はケルティアのみならず、大陸にまで知れ渡っているという豪傑だ。
 コノート地方を影響下においている赤枝戦士団の頭目である彼は、多くの戦士達を率いてこの森で狩りをしていたらしい。
「悪ィな。何ももてなしは出来ねーぜ……へっ……ひくしょい!」
「……大丈夫?」
 そう声を掛けながらもラヴェルは思わず顔を腕でかばいながら身をそらした。
 何かの飛沫が目の前をひどい速さで飛んでいく。
 熊をも倒すという、泣く子も黙る最強の戦士はくしゃみと鼻水で顔の真ん中を真っ赤に腫れ上がらせていた。
 有名な槍、ゲイ・ボルグを片手に折り畳みのスツールに腰掛けているが、今日は威厳は皆無。
「ちくしょう、しつこいくしゃみだぜ……っくし!」
「……品がいいとは言えんな」
「黙りやがれ」
 ホリンはレヴィンを一睨みすると下顎を突き出した。
「まあいい、座れや。おいお前ら、ラヴェルにあぶった肉でも出してやりな」
 恐らく仕留めた獲物であろう、鹿のものと思われる肉が、串の先に刺さったまま一本ずつ出された。よく見れば脇の焚き火の周りにも同じものが立てられていて、ジュウジュウ言っている。
 仕留めた獲物をその場でさばき、塩を振って焼いただけの素朴だが豪快な料理である。
「熱いうちに食っちまいな。最近は獲物が減っちまってな。今日も鹿が一頭だけだ……くしょい、また始まりやがった……」
「薬草、あげようか?」
「おう、悪ィな」
 ラヴェルから乾燥させた薬草を受け取るとホリンは薬湯を作ってすすった。
 その口からぶつくさと文句が出る。
「まったくよ、付近の住民から最近家畜がよくいなくなるって話が続いてな、仕方ねぇ、見張ってたらよ、猫だぜ、猫! 猫のくせして集団で家畜を襲いやがって。へっくしょ! リンクスっていうンかね、あいつはよ。やたらとでかくてよ。どうもこの森に巣があるらしくてな、こうやって見張ってる訳よ……へぶしっ!」
「ほう……?」
 何か興味でも持ったか、レヴィンが抑え気味の声を漏らした。
「リンクスは一匹で行動する生き物だ。猫のような姿の獣のうち、群れるのは獅子か虎の雌とその子供くらいだ。だが奴らは家畜は襲わない」
「この辺りにゃ獅子はいねェな。虎ほどもデカくはねェ。ちょいと灰色じみた毛並みで……っくしょ! うっすらと縦縞模様がういてやがる。第一、顔がただの猫だぜ?」
「ふむ?」
「ねぇ、ボギービーストじゃないかなそれ?」
 ラヴェルは焼肉を食べ終えると串を火に放り込んだ。
 同意を求めるように隣のレヴィンを見るが、レヴィンは何か考え込んでいるようだった。
「その外見ではリンクスだ。妖精獣ではないな。リンクスが集団で、か。これは面白いものが見られそうだな」
「何が面白いだ、冗談じゃねェ、おれ様は猫族は苦手なんだ! へ…へっへっ…ひぃッくしょい!!」
 ホリンの逆毛だった砂色の髪がますますぼさぼさになって揺れている。
「連中といるとくしゃみと鼻水が止まらな……ッしょーい!!」
「……なるほど、その様子だと近くにいるな」
「へぶしっ!」
 鼻をぬぐうとホリンは億劫そうに立ち上がった。
「くそ、仕方ねぇ、やっぱり巣を潰さねぇとダメか」
 魔の槍ゲイ・ボルグを部下に託すと愛用のグレートソードを背負う。
「お前らもついて来やがれ」



 鼻の頭をすりむかせたホリンに連れられ、ラヴェルはレヴィンと共に森に分け入った。
「狩りの獲物も少なくなってるぜ。リンクスのヤツら、動物を片っ端から食ってるんじゃねぇだろうな?」
「そういうわけでもあるまい」
 人が通るには細すぎる獣道。
 覆いかぶさる草を分けながら進む。いや、分けるというよりも草が自ら分かれていく。
 ラヴェルには、それはレヴィンが辺りの精霊に働きかけているからだという事が何となく分かった。
 注意深く周囲に視線を走らせながらレヴィンは先頭に出て歩き始めた。
「先程も言ったが……リンクスは基本的には単独で行動する。普通ならば巣を見つけてもその主が一匹いるだけだ。繁殖期以外はな」
「今は繁殖期じゃあねぇはずだぜ?」
「そう、だからおかしいのさ」
 深い緑の中にレヴィンの青い衣服が余計に神秘的な色合いに見える。
「集団化する答えがどこかにあるはずだ。それはリンクス以外の何かかもしれん」
「ふうん」
 薬湯を入れた水袋に口をつけながらホリンもうっそうと茂る森の中を進んだ。
「まぁ森にはいろんなモンが住んでやがるからな」
 豪傑が気がのらなそうに相槌を打つのと同時、レヴィンが足をぴたりと止めた。
 ホリンの手が背中の大剣に伸びる。
 木々のざわめきと小鳥の鳴き声がいっせいに鎮まった。
「なんだ、何が起きた」
「知るか。静かにしろ」
 沈黙の森の中、張り詰めた空気だけが辺りを満たしている。
「来る!」
 静寂がひび割れた。
 目に捉えきれない速さで黒い影が木々の間を疾走する。
「せあらぁっ!」
 手前の潅木ごとホリンはその影を断ち割った。
 小枝の残骸がどす黒い血飛沫と共に乱れ舞う。
「クー・シーか!?」
「いや、違う」
 葉を引き裂き、黒い鉤爪が襲い掛かる。
 巧みに身を捌き、ホリンはグレートソードを薙いだ。
 黒い影が引きちぎれ、焼けるような音を立てて煙と消える。
 赤く濁った目が森の深みに輝き、荒々しい鼻息とうなり声がそこかしこから聞こえている。
「でありゃぁっ!」
 跳びかかる影をホリンは下段から切り上げた。
 剣の餌食にかけるとそのまま水平に薙ぎ、刃を返すと次の獲物を力任せに斬り下ろす。
 絶叫とよだれを撒き散らし、断ち割られた影が瘴気の煙となって消えていく。
「なんだ、手ごたえがねぇぞ、こいつは」
 ラヴェルも攻撃側に構えていたレイピアを防御側に寄せた。
「ヘンだね、まるで幻みたいだ」
 空気を裂くような音を立てながら黒い影が跳び交っている。
 切っても突いても手ごたえがない。
 倒したかと思ってもしばらくすると黒い霧が立ち昇り、再び影の獣となって襲い掛かってくる。
 その獣の俊敏さは豹を思わせるが、残影はどこか狼に似ている。
「ブリッツ!」
 レヴィンの手から放たれた稲妻が黒い影を貫いた。
 黒い影に大きく穴を開け、獣から煙が妖しく立ち昇る。
「これは黒妖犬だな」
「あぁ!? こんな昼間からかよ」
 堕天使の飼い犬、あるいはエルフの猟犬とも呼ばれるそれは一種のヘルハウンドのようなものだ。
 通常は夕刻に群れを成して襲い掛かる、死霊の黒犬。
「うおらぁっ!」
 妖獣の吠え声に負けず劣らずの雄叫びを発し、ホリンは憂さ晴らしとばかりに暴れまわった。
 木の根を踏み砕き、茂みごと黒い影をなぎ倒し、巨躯を敵に叩きつけるように間合いを詰めると太い刃を群れに突き入れる。
 刃に噛み付いた獣をそのままに振り回し、かまわず別の影を叩き割り、塵に変える。
「くそ、槍を持ってくるんだったぜ……おいチンピラ、何とかしろ!」
 舌打ちをするとホリンは下がった。
 どれだけ倒しても一向に数が減る気配が無い。
「こいつら鉄の武器は効かなそうだぜ」
「らしいな」
 追って来る獣をホリンはやり過ごし、反転して来たところへ大剣を上段から思い切り振り下ろした。
 レヴィンの目配せを受け、ラヴェルはレイピアを鞘に収めた。
 その代わり、竪琴を手に取るとぽんと弦を弾く。
 小さいが澄んだ音が緑の中に響き渡る。
 獣の群れが音の魔力に動きを止めた。
 そのわずかな時間の中で、レヴィンは素早く動いた。
 軽く両手を広げ、ひじを曲げて交差させる。
 そこを集点に魔力を高め、言霊を操り力となす。
「蒼き風の狭間より身を躍らせ、その鋭き牙にかけよ」
 ガサと森全体が崩れるような音を立てて一瞬荒んだ風が逆にぴたりと止まる。
 その静止した空気が力を蓄え、一気に崩壊する。
「リュフト!」
 風鳴りの振動音が鼓膜を震わせた。
 空気の雪崩かと思うほどの突風がか細い木をなぎ倒し、根の浅い草を地面ごとえぐり、黒い獣の群れを飲み込んで吹き荒れる。
 森の空気ごと引きちぎられ吹き飛ばされ、突風が過ぎ去った後には黒妖犬は一匹たりとも残っていなかった。
「けっ、相変わらず見事なもんだ」
 背に担いだ鞘に乱雑に刃を戻すとホリンは獣が消え去った暗がりを睨み据えた。
「時間を食っちまったな。とにかくリンクスの巣を探すぜ」


 さわさわと、人間の耳には聞こえないようなかすかな音を草が奏でている。
 精霊使いにしか聞こえない草霊の声を頼りに三人は森の中の空き地へ出た。木の根に腰掛けて一休みする。
「ホリン、この辺りに人間が隠れるにうってつけの洞窟か何かはないか?」
 レヴィンの問いにホリンは水袋を掴んだまま少し考え込んだようだった。
「あ? そうだな……向こうに地面が盛り上がっている所があって、そこから黒い岩が顔を覗かせている。その隙間にでかい穴が開いていて、そうだな、一番奥まで二百ヤードちょいくらいかね」
「他には?」
「あとは思い当たらねぇな。それで、洞窟がどうした?」
「行けば分かる」
「ふうん……まぁいいや、それならこっちだ」
 今度はホリンを先頭に、一番後ろをラヴェルが気が乗らなそうな足取りでついて行く。
「ひぃーっくしょい!」
「……近づいてきたようだな」
 収まっていたくしゃみが再び始まったらしい。
「レヴィン、ホリンってもしかして……」
 ふと思い当たり、ラヴェルはレヴィンの背に問いかけた。
 まだ全部口に乗せていないうちに相手からはそのものの答えが返ってきた。どうやらレヴィンも同意見らしい。
「ああ、だから犬と熊なんだろ」
 猛犬のホリン。熊をも倒すといわれる豪傑だ。
 詩人達は強さを通常は獅子や虎などの動物に例えて歌うが、ホリンについている賛辞は熊殺しだ。
 もちろんホリンの強さであれば獅子も虎も倒せるだろうが……猫に近づいただけでこのくしゃみと鼻水だ、この状態で猛猫である獅子や虎を倒せというのは酷だろう。
 体質的に猫がダメ、という人間は少なからず存在するが、どうやらホリンもその仲間らしい。
「おう、見えてきたぜ。あれだ、あの岩の向こう側に……へっ……へっ……!!」
「……立ち止まりし風の精」
 レヴィンが呟いたのと同時、森の精気を帳消しにして盛大にホリンの口から汚い飛沫が飛び散った。
 しかし、くしゃみの音は全くしない。
 見ればホリンは池の小魚のように口をパクパクさせている。
「……リンクスは夜行性だ。せっかく眠っている昼間に不意打ちをかけるのに、品のない大くしゃみで起こされては元も子もないからな……行くぞ」
 まるきり他人事のように言ってのけるレヴィンにホリンが身振りで毒づいている。
 そんな案内人には構わず、レヴィンとラヴェルは暗い洞窟へ入ってみた。
「静かにしろ」
 松明のはぜる音も立てたくないらしい。
 レヴィンが手のひらに魔法の灯りを生み出した。灯りといっても太陽や炎の明るさではない。月のような燐光のような青白い光がうっすらと辺りを照らす。
「…………?」
 足下を見ながら歩いていたラヴェルは雰囲気の変化に顔を上げた。目にはレヴィンの後ろ姿が確かに映っているのだが、気配が無い。
 奥で何かが動いた。
 無数の青い目が暗闇に光る。
「……どうやらお待ちかねだったようだな」
 リンクスの群れがまるで獲物を待ち構えていたかのように一斉に姿を現した。
「夜行性じゃなかったの!?」
「普通はな。だが生憎今は通常時ではなさそうだ」
 爪が地面を蹴る音と共にそれらは一気に飛び掛かって来た。
 洞窟内が一瞬で赤く染まった。
 巨大な山猫の姿があらわになる。
「……炎の奔流……イグニスストリーム!」
 巻き起こった炎の流れに先頭の数匹は灰と化し、残った者もある者は勢いが止まらずそのまま火に突っ込み、残りの者は本能でそれを恐れて突撃をやめる。悔しげな低い唸り声。背の体毛を逆立たせ、尾も何倍もの太さになっている。
「はぐっッしょーい!」
 レヴィンが魔法を切り替えたせいでホリンに掛かっていた沈黙が解けた。最前までとは比較にならないほどのくしゃみの嵐が背後で炸裂している。
「……こいつは戦力にならんな」
「黙りやが……ッしょーい! なるほどね、こい……へぶしっ! つが集団化の答えか……っくしッ!」
 ホリンのぎょろ目が洞窟の奥を睨みつけている。
 灰銀色に逆立つ体毛、青く光る目、威嚇する激しい息音。
 リンクスの集団の背後に、得体の知れない人影がいるのだ。
 恐らくあれで操っているのだろう、香煙を放つ塊を手にもてあそんでいるが、その立ち姿にはそこはかとなく気品が漂っている。
 ただ者ではなさそうだ。


「ひっしょーい!!」
 くしゃみをするたびに剣の軌跡がずれる。
 おかげでホリンの両手剣は一匹もリンクスを退治していない。
 レヴィンが魔法で応戦しているものの、このような洞窟で大技を出せば自身が生き埋めになりかねず、戦果ははかばかしくない。
 鉤爪が岩を削る音と砂埃が洞窟の中に充満する。炎の灯りに飛び散った太い猫の毛が銀色に光り、闇の中を青く光る目が縦横無尽に駆け巡る。
 襲い掛かる鉤爪にラヴェルはレイピアを抜いて応戦した。甲高い金属音が響き渡る。
「……ラヴェル、レイピアというのは突く武器ではなかったのか?」
「仕方ないでしょ!」
 殴るように襲い掛かる太い腕と鉤爪を振り払おうとレイピアを振るうが、チンチンチンと音を立てながらのチャンバラになってしまっている。
「い、いたたたたっ、いたっ、痛い痛い!」
 顔やら腕やら見事に引っかき傷をこしらえながらラヴェルは洞窟の中を走り回った。
 その後ろから、毛を逆立たせ激しく威嚇の息を噴出しながらリンクスが追い回している。
 とにかくリンクスの数が多い。
 ホリンは今回ばかりはアテにならなそうであるし、ラヴェルとレヴィンだけでこの猫の群れを何とかしなければならないだろう。
「グラオペル」
 冷たい雹を作り出すとレヴィンはパチンと指を鳴らした。
 砕けて大量の氷の矢に姿を変えたそれが猫の群れに襲い掛かる。
 ひび割れた咆哮が洞窟内に幾つも響き渡った。
 重い音を立て、リンクスの巨体が幾つも地面に横たわる。
 それまで様子見とばかり群れの背後にただ立っていた怪しい人影が揺らいだ。
 それが腕を上げ、優雅に円を描くと洞窟内に濃く暗い霧が充満する。
 視界を深く遮るのは惑わしの霧だ。
「いきゃー!?」
 音だけを頼りにラヴェルはレイピアを振ったが、空振りしたのと同時に脇から鍵爪で引っかかれる。
 ラヴェルの甲高い悲鳴に獣達が一斉にそちらを向いた。
 狙いを声の主に定め、飛び掛ろうと力を溜める。
 そのわずかな隙を見逃さず、レヴィンの魔法が解き放たれた。
「海よ……光なき闇色の渦となりて全てを飲みこめ……タイダルウェイブ!」
「!」
 地響きを伴って洞窟内を荒れ狂ったのは大量の水だった。
 妖しい人影が身を仰け反らせるが水は容赦せず襲い掛かった。
 暗い色のフードの下から長い金髪がはらりとこぼれる。
 呼び出された水は激しく流れる地下水路のごとく、石筍の間を縫い、岩にぶつかっては飛沫と轟音を撒き散らす。
 霧を飲み込み、巨大猫の群れを押し潰し、流し去って水が消えた後には何も残っていない。
 やがて地響きも薄れ、轟音も暗がりにこだまして消えた。
「へっ……やったか?」
「どうだかな」
 洞窟内は嘘のように静まり返っていた。見た限りもう怪しい姿は見当たらない。
 リンクスの群れも、怪しいローブ姿も何もかもが消えていた。
 赤く剥けた鼻の頭をこすりながら、ホリンが毒づいた。
「くそったれ、よりによって猫族なんか操りやがって」
 体質的な拒否反応のあまり、もはや精神的にも拒絶するレベルらしい。
 暗がりだけが辺りを満たしている。
 怪しい姿はもうない。
 しかしあの姿は怪しいだけではなく、どことなく神秘さを伴っていた。
 一体何者だったのだろうか。
 静かになった洞窟内を見回し、ラヴェルは地面に光るものを見つけた。
「あ、何か落ちてる」
 拾ってみればそれは美しいブローチだった。
 メノウの濃い緑でシャムロックの葉をかたどり、その縁は繊細な金細工で覆ってある。
「戦利品ってことでいいのかな」
 泥を丁寧にふき取るとラヴェルはそれを懐へしまい込んだ。
 恐らくあの怪しい人影の持ち物だろうが、その姿はどこへ消えたのだろうか。
 腑に落ちないものを感じつつも、三人はやがて森の外の野営地へ戻っていった。


「っきゃ〜〜しみるぅ〜〜」
 鉤裂きだらけの衣服の下にうっすらと血がにじんでいる。
 キャンプに戻ってきたラヴェルはちまちまと回復魔法を自分にかけていたが、それだけでは足りずに薬草の汁を傷に塗っていた。
「ああ、まだ鼻がむずむずしやがる……」
 湿布だらけになっているラヴェルの横では、ホリンが薬湯に浸した布の小片を丸めて鼻に突っ込んでいる。
「ちくしょう、折角の良い漢が台無しだぜ」
「台無し? 元に戻っただけだろう」
「なんだと!?」
 音を立ててホリンの鼻に詰まっていたものが飛んでいく。
 それから身を避けるとレヴィンは白湯を口に含んだ。
「しかしだいたいは予想通りだったな。リンクスが集団化するとは普通は考えられないからな。何か背後に厄介な奴がいるのだろうと思っていたが」
「なんだったんだ、あのボスはよ」
「わからん」
 リンクスを操っても出来るのはせいぜい家畜を襲って村を荒らすくらいだ。あまりメリットはない。
 赤枝の戦士達が総出で近くを捜索したが、妖しい人影も結局見つからなかった。
 気づけばすっかり日が傾いていたようだ。
 茜色の光線を受け、森のシルエットが焦げ茶色に染まっている。空に浮いている黒い点はねぐらへと帰っていくカラス達だ。
「おい、テメェら、これから帰ェるから、一緒に砦に泊まって行きやがれ。手間もかけたし、何もしねえのも気に食わねえ。夕飯くらいは恵んでやる」
 配下の戦士達がキャンプを取り払っている。
 彼らの拠点である砦まで多少距離があるが、夜更け前には着くだろう。
 相変わらず粗雑な言動のホリンではあるが、ラヴェルはホリンなりの好意を喜んで受けることにした。 つづく

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