がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜
第4話:離散(後編)
広大な帝国領を西へ進み、国境をミストラントへ越えれば相変わらずそこは一面の深い霧に覆われていた。
やがて降り出した雨に、一行は森の外れに駆け込んで雨宿りをすることにした。
「なんだかアルスターの景色によく似てますわ」
「アルスターか。僕はケルティアの景色って好きだよ」
好意的なラヴェルの相槌とは裏腹に、薄墨色に煙る景色を眺めるディドルーの表情はあまりさえなかった。
つまらなそうに首を横に振る。
「ケルティアのほとんどは荒地ばかり。美しいのはマンスター、アーニャの庭くらいですわ。隣の芝生は青く見えると言いますけれど」
妖精に好かれるというケルティアは様々な表情を見せるものの、大地はあまり豊かではない。
髪についたしずくを払い、霧の流れるさまをディドルーはじっと見つめた。
「国の一族には色々な技術者がいますけれど、農耕はさほど進んでいないんですの。あ、一族っていうのは偉い人達、王様とかの一族のことですわ。国自体は素敵だと思うのですけれどね」
雨がやむとラヴェル達は再び西へ歩き出した。
やがて霧が晴れ、谷を抜けるとそこには緑一面の野が広がって見えた。
「ディアスポラに抜けたね」
「まぁ、何て美しいのでしょう!」
一転して強い日差しに輝く美しい草原に、ディドルーは歓声を上げた。
ところどころに古代の遺物、遺跡の残骸が白く光っている。
「素敵ですわ! ラヴェル様、見てくださいな、あそこに……」
なぜかクレイルとレヴィンがさっと避けた。
無邪気にはしゃいだディドルーが勢いよく振り向いた瞬間、彼女のぬれた長い髪がラヴェルの顔面を直撃する。
「うう、何で僕だけ……」
涙など流しながら草原を進んでいると、彼方から蹄の音が近づいてきた。
騎士数名の小部隊が追い抜いていく。
「ああそういえばディアスポラの話をしてなかったよね?」
馬が彼方に消えるとラヴェルは振り向いた。
うなずくディドルーにラヴェルは簡単に説明した。
「ディアスポラという名前は本来は離散を表す言葉なんだけど、今は逆の意味に捉えられているんだ。ここは大きな教団が支配しているんだけど、過去に何度か帝国と戦って、民や文化、信仰までが世界中に散ってしまったんだ」
景色の眩しさに、ラヴェルは目を細めながら言葉を続けた。
「だけど、彼らは戦乱が過ぎ去るとまたここへ集まってきて教団を再建して、以前よりももっと発展させたんだ。だから、離散という意味が今は再集合という意味へ変わってるんだって」
「大変な歴史を持っているのですわね」
「うん」
草原の彼方に白いものが輝いている。
大理石で作られた神殿とその周囲を囲む町だ。
中央教会まではまだ遠いが、この町もまた女神に守られているらしい。
「クヤン様って知ってるよね? ケルティアの王様だったんだけど、彼はこのディアスポラでも聖騎士とされていて、最高司祭の職を務めていたんだよ」
微かに苦いものを感じながらラヴェルは軽くその話をし、それ以上は説明をやめた。
さりげなく立ち居地を変えるとレヴィンに小声で話しかける。
「……どうしようか」
ラヴェルの問いかけにレヴィンは肩をすくめたようだった。
「町へ入るにはどうしても門を通らねばならんからな」
突き刺すほどの光に満ちる風景をレヴィンは睨むように眺めた。
「中央までは距離もあるからな。一概に騒ぎが起きるとは決め付けられんが」
遠くの町並みは徐々に近づいてくる。
クヤンはレヴィンを目の敵にしていた。
今は亡き最高司祭の意向がどこまで浸透しているか。
中央教会から離れたこの地ではあるが、安全とは言い切れない。
町へ入るには守衛が目を光らせる門を通らなければならない。
「お二人とも、どうなさいましたの?」
「え?」
町の門がもう目の前に迫っている。
「あ、うん、なんでもないよ。もうすぐ町だね」
彼女の視線が遠ざかるのを待ってラヴェルは再び声を潜めた。
「まだ辺境だから問題ないと思うんだけど、どうしようか」
「宿はわかるか? わかるならばお前達だけで先に行け。俺は少し離れてついて行く。もし俺に何か起きても構うな。先に行け」
「…………」
クヤンの目的のモノはレヴィンの中に巣食っている。
その事実が知れればディアスポラ中から敵意を持って追われるのは目に見えている。
たとえ宿主……レヴィン自身は悪意がなくても、だ。
「それにどうもあの女が気に食わん」
視線の先ではディドルーがクレイルと談笑している。
気に入るも入らないも、そもそもレヴィンが女性と会話をしているところなどラヴェルには想像つかない。
もっとも、そこそこの容姿を持つレヴィンであるから、ミーハー根性丸出しの娘が話しかけてくることはあるが。
(レヴィンって本当に女運なさそうだなぁ……)
ラヴェルがしみじみと心の中で呟いていると、赤く凶悪な視線が横から突き刺さった。
「……今、何を思った?」
「ううん! 何も!」
冷や汗を隠しもせず、ラヴェルは必死に首を横に振った。
魂魄か精神かの一部を共有しているらしいのは、どうも事実だと認めざるを得まい。
考えたことが完全に筒抜けだ。
クレイルが完全に他人のフリをして在らぬほうを向いている。
レヴィンはラヴェルに目配せをし、そっと離れた。
ラヴェルは残った三人だけで町を目指す。
「ラヴェル様、レヴィン様はどうなさいましたの?」
「ああ、どこかへ寄り道するみたいだよ。あとで合流することになってるんだ」
さりげなくごまかし、ラヴェルは正面を向いた。
聖句を掲げた白い街門を教団の神官戦士が守っている。
それをくぐると、ラヴェルは真っ直ぐ宿を目指した。
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素朴な石造りの町は強烈な陽光を浴びてもそれをやんわりと受け止めている。
この町は小さいながらも幾つかの街道の分岐点で、旅人は各地からここへ集まり、そして各地へ散っていく。
「さて、じゃぁ僕はこれで国へ帰ることにするね〜ん」
幾分傾きかけた光が床を鮮やかな黄金色に照らしている。
一休みするとクレイルだけが立ち上がった。
街道を北東へ分岐すれば彼の国へもう少しだ。
「あれ? もう行くんですか? レヴィンがまだ戻ってきてませんけど」
「うん、彼にはよろしく言っておいて。どうせまた近いうちに会うだろうし」
「わかりました。お気をつけて」
「じゃーね〜」
軽く手を振るとクレイルは口笛交じりに発っていった。
宿にはラヴェルとディドルーの二人だけが残される。
ハーブティーを入れるとディドルーはラヴェルの横へ座った。
室内に良い香りが漂う。
「ラヴェル様は旅はもう長いのですか?」
「そうでもないよ」
ラヴェルが国外に足を伸ばすようになってようやく一年と少しが過ぎたところだ。
旅人としてはまだまだ初心者もよいところである。
「どうして旅を?」
その問いに答えようとし、ラヴェルはしばらく考え込んだ。
「うーん、僕も一応は吟遊詩人だし。最初は色々な人に会って、色々なものを見て、詩のネタが見つけられればいいなぁって思ってたんだけど」
田舎でのんびり育ったラヴェルには、旅というものはほとんど観光のようなイメージしかなかった。
だが、その途上で出会った別の吟遊詩人にイメージを覆されたと言っていい。
「それまではただ好きで歌っていたけど、聞いてもらう事の大切さに気付いたというか……聞いてもらわないと伝わっていかないし。それにはやっぱり色々なところへ行って、色々な人に会わないと。うん、結局は歌が好きってことかな」
「素敵ですわね」
「え? そうかな」
なんとなく照れくさくなってラヴェルは鼻を掻いた。
だが、そのままラヴェルは視線を窓の外に向けた。
旅は一度終わりにしても良いはずだった。
それをあえて続けたのは……純粋に好奇心か、それとも相変わらずの観光気分か、それとも……漠然と感じた何か、か。
特に旅にあてがあるわけではない。
それでもなぜか今は歩き続けなければ行けない気がするのは何故だろうか。
「ディドルーは魔法の修行だっけ?」
「はい」
彼女が使うのは精霊魔法といわれるものだ。
何らかの素質がなければそれは扱えず、かといって素質さえあれば使えるものでもないらしい。
「レヴィン様はお強いのですわね」
「うん、レヴィンは何でも桁外れだよ」
ラヴェルはそう同意し、すぐに気付いた。
「ああ、精霊魔法のことだね。彼は吟遊詩人だけど、魔道士としても一流だと思う」
レヴィンの精霊魔法は一流の魔道士をも上回るだろう。
それは恐らく彼の出自に関連しているのだろうが、その事を他人に語るつもりはラヴェルには全くなかった。
「ラヴェル様」
ティーカップを置き、ディドルーはラヴェルを大きな瞳でじっと見つめた。
「……あの方はどんな方ですの?」
「え?」
思わず見返したラヴェルの目に映ったのは、何とも表現し難い何かを秘めた、大きな瞳だった。
それはどこか人間離れしている。
ディドルーの、彼女らしくないただならぬ気にラヴェルは面食らった。
「どんなって言われても……」
もごもごと言い澱み、やがてラヴェルははっと気付いた。
「ああ! もしかして、レヴィンの事を好きになっちゃったとか!?」
「ち、違いますわっ!」
ディドルーは慌てて首を横に振った。
そのまま顔を赤らめ、ちろちろと上目でラヴェルを見る。
「私はああいう方よりも、どちらかというと可愛らしい方のほうが……」
「……えーと」
ゆるく編まれた金髪がゆらゆら揺れている。
なぜか一人舞い上がっているディドルーを冷や汗を流しながら見つめ、ラヴェルはこっそり溜息をついた。
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石畳の上を行き交う音にラヴェルは目を覚ました。
「こんな夜中に……」
そっと宿の窓から夜更けの通りを見下ろせば、騎馬が数騎、重装備の神官戦士を乗せて駆けて行く。
特に急いでいるようではないが、彼らは一様に東に向けて去っていく。
ディアスポラは三方を海に囲まれ、残りの一方、つまり東面を北からシレジア、中央高地、ミストラントの順で接している。
中央高地は内乱の気配があるし、国境付近の防衛にでも行くのだろうか。
階下へ降りれば宿の食堂にはまだ酔っ払いがわずかに残っていた。
彼らと離れて飲み物を頼むと、ラヴェルは主人に外の様子を尋ねてみた。
「なんだか外が騒がしいですね」
「ああ、中央教会の連中でしょう」
明日の朝食の仕込をしながら中年のマスターは続けた。
「ディアスポラは各地方の豪族がそれぞれの領地を支配してますが、それらを乗り越えて権力の網を張っている……実質的に全土を支配しているのがあの教団です。何でも中央のお偉方が亡くなったらしくてね、今はその後継を巡って内部で争っているようですよ。しかも、各地の豪族が教会の支配から脱するチャンスと見たのか、あちこちで不穏な気配があるんですよ」
グラスを受け取ると、ラヴェルは確認するように問いかけた。
「じゃぁ、外の騎士達は……」
「各地の見張りと制圧に行くんでしょうよ。昔はディアスポラの敵といえば侵略してきた帝国でしたが、今は身内を疑っているのです」
「…………」
どうやら外見の牧歌的な風景の下には想像も出来ないほど黒い何かが渦巻いているようだ。
相当にキナ臭い物が漂っているといえるだろう。
外は相変わらず蹄の音が行き交っている。
この後の行程をどうするか。
レヴィンのことも心配だ。
グラスを握ったまま、ラヴェルは難しそうに考え込んだ。
どこかの変態国王ならずとも、朝の紅茶は格別というものだ。
ディドルーと食後の一服を楽しむと、ラヴェルは立ち上がった。
「そろそろ出発しようか」
「はい!」
タレ気味の目をほんわかと輝かせ、ディドルーも立ち上がった。
こともあろうかラヴェルの腕を取るとそのまま自分の腕とからめる。
あまりにもさりげない動作であったためにラヴェルは反応することも出来なかったが、やがて耳まで赤くなりつつも何とか歩き出す。
「えーと……」
「ふふ」
歩きつつもラヴェルの視線は右に左に彷徨っているが、ディドルーは何故か嬉しそうだ。
町並みを抜け、門をくぐって草原へ出れば、相変わらず心地よい風に一面の緑が揺れている。
小川のほとりに辿り着けば、そこもまた街道が分岐している。
「やっと来たか」
道しるべの前に立っていたのはレヴィンだ。
これ幸いとばかり、ラヴェルは逃げるようにディドルーの腕から逃れたが、彼女は少し残念そうな表情を浮かべた。
「この辺りもだいぶキナ臭いらしいな」
「そうだね。どうしようか」
クレイルの後を追って故郷に戻るという手もあるが、それでは旅が面白くない。
かといって船でケルティアに渡ってはディドルーの目的を達せない。
「しばらくミストラントで様子を見るか?」
「そうだね……そうしようか」
振り返れば遠くに山が霞んでいる。
その麓を見つめ、一行は今来た道を引き返すことにした。
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岩の露出する谷は、足元は平らだがよく滑る。
しかも濃い霧が薄墨色に流れ、常に薄暗い。
ミストラントは相変わらず名前どおりの場所だった。
寂しそうな町で宿を取ると、薄ら寒さに耐え切れずに暖炉へ薪を放り込む。
「ラヴェル様、お茶はいかがですか?」
相変わらずディドルーはハーブを煎じてはお茶を入れることに余念がない。
毎回微かに味や香りが違うところをみると、相当な数のレシピを頭に入れているようだ。
「ディドルーはケルティアでは何をしていたの?」
「うふふ」
茶葉を蒸らしているティーポットから手を離すと、ディドルーは指を己の唇に当てた。
「ないしょですわ」
精霊魔法の師匠のもとで勉強していたらしいが、それ以外のことは彼女は語らなかった。
薬草に詳しい様子からして施療士か何かだろうか。
「そろそろ夕飯かな。食堂へ行こう」
二人が降りていけば一足先にレヴィンが酒のグラスを傾けていた。
他の客も少なく、静かにゆっくり過ごせそうだ。
固いパンに鳩肉のローストと山羊のチーズを頼み、彼らは簡単な食事にした。
「ラヴェル様は」
元々小さい肉を更に小さく切り分けながらディドルーは突然尋ねた。
「どなたか好きな方っていらっしゃいますの?」
「はぇ?」
口の中の物を飲み込むと、ラヴェルはとりあえず知人の女性を片っ端から思い浮かべてみたが、誰とも縁がない。
いや、むしろ相手にされていないというか、そもそも男としてみてもらえていなそうな予感が激しくする。
「うーん、全然いないなぁ。ディドルーは?」
「え? 私ですか?」
顔を赤らめ、ディドルーはあたふたと慌てたようだった。
「特におりませんけれど、でも……」
ディドルーはタレ目でちらっとラヴェルを見た。
妙に色っぽい視線に、ラヴェルはなぜか鼓動が跳ね上がった。
逃げるように立ち上がる。
「あ、ち、ちょっとトイレ行ってくるね!」
途中で派手にコケながらラヴェルが姿を消すと、レヴィンは無言でグラスを置き、やがて赤い視線をディドルーに投げかけた。
「お前ラヴェルに気があるのか」
「ええと……」
ずばり指摘され、ディドルーは慌てたように視線を上げた。
しばらくディドルーは黙っていたが、やがてうなずいた。
「はい。だって可愛いんですもの」
「……趣味の悪い女だな、あんたも」
胡散臭いものでも見るような視線でディドルーを射ると、レヴィンは溜息をついた。
「一つ忠告してやろう。今すぐ諦めろ。男のフリをしているがな、あれは女だ」
「ええっ!?」
テーブルの上の食器が跳ねて激しく音を立てる。
見た目にもショックを受けたのがわかるほど顔色を青ざめさせてディドルーは立ち上がった。
「ただいまー。あれ? どうしたの?」
戻ってきたラヴェルは不思議そうにディドルーを見た。
「ラヴェル様!」
ディドルーが目に涙を一杯浮かべている。
「ああっ、とってもキュートだから予感はしておりましたけれど! ごめんなさい、私、そういう趣味はないんです!」
「は、はぁ……?」
何がどうなっているのか全く理解できず、ラヴェルは首をかしげた。
その手をディドルーは握手するように取り、やがて離した。
「私、これで失礼することに致しますわ。ああ、名残惜しいですけれど……本当にごめんなさい!!」
「えーと、何がどうなって……?」
相当なショックなのが見た目でわかるほど髪を振り乱しながらディドルーは走り去っていった。
部屋の荷物すら取りに行かず、外へ飛び出していく。
「レヴィン、一体何があったんだい?」
「ああ、気にするな」
冷たく答えるとレヴィンは関係ないとばかりに食事を再開した。
「どうもあの女が胡散臭く感じてな、追い払っただけだ」
「なんか凄くショックを受けてるっぽく見えたけど?」
「ふん、どうせ数秒で立ち直るだろうよ」
ラヴェルはディドルーを胡散臭いとは感じないが、レヴィンの鋭さは人間のそれではない。
大人しく従うことにするが、それにしてもラヴェルは気になった。
「それで、一体何て言って追い払ったの?」
「……知りたいか?」
「……やっぱりいい。聞かない方が身のためな気がする」
「そうだな」
外から雨の音が聞こえてきた。
微かに光った雷光に眉を潜め、ラヴェルは無言でグラスを手に取った。
つづく
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