がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜   目次   HOME       <BEFORE   NEXT>

がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜

雨音(後編)

 高原の森の朝は爽やかだ。
 ラヴェルが目を覚ました時、部屋は眩しいまでの朝日に照らされていた。
 だがラヴェルはずっと腹を抱えている。
 どうやら寝冷えしたらしい。
「うぅ、冷えるし、眠いし、おなか痛いし頭も痛いし……」
 ありえないほどに頭の芯がガンガンする。
 ラヴェルがのろのろと起き上がった頃、相棒はもう出発できそうな勢いである。
「え? もう出るの?」
「ああ。朝飯もないだろうしな」
 ラヴェルは干しておいたマントを手に抱えた。
「ご夫人にお礼を言わないとね」
 しかし応接室にも居間にも婦人の姿はなかった。
 宿の礼を言おうとラヴェルは彼女の姿を探したが、すでに出かけているのか、見当たらない。
「ご夫人はどうしたのかな?」
「自分の部屋で呻いているんじゃないか?」
「うめいて……? なんで?」
 まさか彼女までラヴェルのように寝冷えした訳でもあるまい。
 訝しそうな顔をするラヴェルにレヴィンは肩を竦めてみせた。
「毒でも食ったんだろうさ」
「はぁ?」
 よく分からないが……病気で寝ている人の部屋に押しかける訳にもいくまい。
 ラヴェルはそのまま屋敷を後にしようと玄関へ向かった。
 屋敷の中は相変わらず静まり返っていた。
 それにしても……何かおかしい。屋敷の中がさっぱりしすぎている。
「????」
 何か異常を感じて注意深く辺りを見渡し、ラヴェルはやっと気が付いた。
 屋敷内の石像がすべてなくなっている。
「ね、ね、レヴィン、変だよ、石像が全部なくなってる」
「ああ、石像なら……」
 レヴィンは心当たりがあるようだ。運びだしている所でも見たのだろうか?
「明け方辺りに逃げ出していったぞ」
「ハァ!?」
 石像が歩くはずがない。
 訝しがりながらもラヴェルは玄関の扉を開け、背伸びをした。
 濡れた庭が朝日に輝いている。
 その涼気をあび、ラヴェルは手に持っていたマントを羽織ろうとした。
「あれ? なんだろうこれ」
 一晩床に広げていたせいか、絨毯の埃屑が付いている。
 それはわかるが……。
 きらきらと輝くものがマントに大量にくっついている。
 よく見ればそれは何かの鱗のようだった。床を魚が泳ぐ訳がないから、蛇か何かだろう。それにしてはかなり大きい。
「何の鱗だろう、これ」
 ぱたぱたとマントを振って鱗を落とすラヴェルの横で、レヴィンはごく簡単なこととでもいいたそうな顔をしている。
「ああ、その鱗ならラミアだろう」
「ふーん、そうなんだ…………えええっ!?」
 重い音を立ててラヴェルの手からマントが落ちた。
「ら、ラミアぁ〜!? 何でそんな物騒なものの鱗がこんなところにあるのー!」
 ラミアというのは上半身が女性、下半身が巨大な蛇の姿の吸血鬼だ。若いラミアはまだしも、歳を経たラミアはさらに凶悪で、姿を自在に変えられるだけでなく、生物を石化させる視線まで持つらしい。
「はっ!? もしかして……」
 嫌な予感に身をこわばらせたラヴェルの耳に、男の怒鳴り声が突然飛び込んできた。
「くそ、ラミアめ、どこへ行った!?」
 振り返れば武装した男達が何名も屋敷の中や周囲を見て回っている。
「おい、いたか?」
「いや、いない」
 それらを見つめ、ラヴェルはようやく声を絞り出した。
「……レヴィン、これってまさか……」
「ああ、石像にされてた連中だろう」
「やっぱり……」
 剣を抜き身で引っ提げた男達が、ラミアだ鬼女だと叫びながら走り回っている。
 吸血鬼であり、その魔力で生物を石に変えるという凶悪な蛇女がこの屋敷の主だったらしい。
 どうやらとんでもない屋敷に宿を借りてしまったようだ。
 きっとあの婦人がラミアだったのだろう。
「この屋敷にあった石像ってもしかして全部……」
「……言っただろう、これくらい俺にも作れる、と」
「いや、作らなくていいから」
 どうやら屋敷の石像は怪物に石化させられた人間だったようだ。
 なるほど、魔眼持ちならこの程度の真似は造作もあるまい。
「そっか、いくらなんでもこんなところに一人でって思ったら、ラミアだったのか。襲われなくて良かったよ」
 安堵の溜息をつくラヴェルに、レヴィンはどこか冷めた視線を投げた。
「ラミアも一応女だからな、女相手では襲わんだろう」
「僕は男だってば!!」
 がっくりと肩を落とし、ラヴェルは深く溜息を吐いた。
「それにしてもラミアはどこへ行ったのかな?」
「ああ、もう二度と姿を見せないだろうよ」
「え? 何で?」
 庭を眺めながらレヴィンは肩をすくめた。
「なに、ただの食あたりだ」
「???」
 化け物の屋敷でも、朝日に輝く外見は美しい。
「また天気の悪い日には、宿を借りた旅人でも襲うのかな?」
「さぁな。ま、しばらくは人間を襲おうと思わないだろうが」
 ラヴェルが知らない間に何かあったのだろうか。
「ん? 待って」
 あることに気付いてラヴェルは立て付けの悪い扉のようにギギギと振り向いた。
「あのさ、食あたりって……」
 その疑問に、レヴィンは無言で首筋に手をやった。
 ラヴェルがつられてよく見れば、その下に牙の跡が浮かんでいるではないか。
 青ずくめはひょいと首をすくめると歩き出した。
「毒が強いんでな。俺には蚊すら寄り付かんよ」
 多くの戦士達の怒鳴り声が背後で飛び交っている。
 恐らくラミアはすでに屋敷から逃げ出し、どこかで苦しんでいるだろう。
 うっすらと朝霧が森から立ち上ぼっている。
 鬼女よりももっと禍々しい生き物の背を見ながら、ラヴェルは半ば呆けたように白い息を吐いた。



 雲の切れ間から日が差し込めば、山の高みにうっすらと虹の一部が淡く輝きを放つ。
 地上と天空を結ぶ橋ビフレストもその正体は虹だ。
 長雨に濡れきっていた岩肌や梢が、差し込む光を強く照り返し、目を刺すばかりのまぶしさである。
 中央高地の森の中には、彼ら以外の姿は何も見えなかった。
 美しい緑を見回しながら歩いているラヴェルだが、多少気がかりなことがあった。
 天候も安定し始めたというのに、レヴィンの歩みが妙に早い。
 何をそんなに急いでいるのだろうか。
「レヴィン、行き先のあてがあるわけでも急ぐ旅でもないんだし、もう少しゆっくり行こうよ。足元も悪いしさ」
 濡れた木の根に足を取られそうになりながらラヴェルは相棒に話しかけた。
 しかしレヴィンは首を横に振った。
「……どうも気にかかるんでな」
「何が?」
 レヴィンが立ち止まる。
 ラヴェルも釣られて立ち止まったが、特に何かがあるわけでもない。
 しかしレヴィンは注意深く周囲を見回していた。
「……ケルティアに立ち寄ってから、どうも不穏すぎる」
「??」
 森が精気を吐き出し、陽光に暖められて靄がたなびいている。
 それを見ながら、レヴィンは手近な岩に腰を下ろした。
「道中で妖精どもの襲撃が多かっただろう? 確かに元々ケルティアには妖精が多いし事件も多いが、街道を歩いているのにあの件数というのは異常だ。それに」
 そこで言葉を切るとレヴィンは印を描くように手を動かした。
 何かの言葉に従い、霧が黒ずむと巨大な山犬の姿に変わる。
 黒妖犬だ。
 呼び出された妖獣は一声、森を遠吠えで震わせて消える。
「森の中に黒妖犬の群れが出たな。あの猟犬はボスに従って動く。どこかに連中を従わせている奴がいるはずだ。異界から呼び出した奴がな。だがあの場所にそれらしき姿はなかった」
「どこか少し離れた場所で僕らを見てたってこと?」
「恐らくな。大方、リンクスを操っていた奴だとは思うが」
 ラヴェルは思い出したように懐をまさぐった。
 濃いグリーンの瑪瑙で作られたブローチが艶やかな光を放つ。
 リンクスの巣で拾ったものだ。
 それを横目に見ながらレヴィンは続けた。
「どうも、ケルティアへ入ってから誰かに見張られているような気がしてな。大陸に戻れば大丈夫かと思ったが、ついて来ていやがる」
「ええっ!?」
 ラヴェルが叫ぶと同時、森の奥から異音が響いた。
「……なんだ?」
 何かがこすれ、軋むような音がする。
 それだけではない。
 妙に生臭いような青臭いような、湿った臭いが辺りに充満する。
 森の瑞々しい香りが台無しだ。
 地面を引きずるような音が、ゆっくりと森の中を移動している。
「ふむ……ただのモンスターらしいな。どうする?」
 怪物ならば充分に厄介なものだと思うが、レヴィンは警戒を若干緩めたようだった。
 どうやら人間の追っ手ではなさそうだ。
 山や森には色々な怪物が住んでいるから、何かに出会うこと自体は別に驚くべきことではない。
 レヴィンに視線で問われ、ラヴェルは森の暗がりを見つめた。
「うーん、ちょっと行ってみようか」
 わざわざ危険な目に遭いに行くようなものだが、ラヴェルにとって最大の危険は相棒を怒らせることだから、怪物に出会うことくらいはさして怖くはない。
 危険に対する認識がどうも麻痺し始めているようだ。
 第一どんな怪物が出て来ても、レヴィンさえいれば何とかなる。
 小路を外れ、二人は茂みに分け入った。



 視界の効かない中、音の方角だけを頼りに注意深く進んでいく。
「あれ? 何もいないな。確かにこっちから音がするんだけど……」
 小枝を掻き分け、ラヴェルは左右に首をめぐらせた。
 その場は少し開けているが、何の姿もない。
「ん? 通った跡かな?」
 足元の異常に気づき、ラヴェルは腰をかがめた。
 地面を良く見れば、草が押し潰されたように広がって道のようになり、その中心部は何故か擦り取ったように草の表面が削れている。
 その道筋のような跡は妙にぬるぬると光り、足でつつけば実際にとてつもなく滑りやすそうだった。
「うっわ、ぬるぬる……」
 ラヴェルは立ち上がると気色悪そうに一歩下がった。
 少し離れた背後にいるレヴィンに呼びかける。
「ねぇ見てみて。何かが通った跡があるよ」
 茂みから表れた青い影にラヴェルは振り向いた。
 そのレヴィンと目が合うと……何故かレヴィンは嫌そうに顔をしかめた。
「レヴィン?」
 どうしたのかと問おうとしてラヴェルは動きを止めた。

 ぬちょり……

 何か妙に濡れたものがラヴェルの背中に触れた。
「う……」
 激しく嫌な予感がするが、ラヴェルは身体が硬直して動けない。
 背後から覆いかぶさるかのように何か濡れたものが触れている。
「う、うぅ……う〜〜〜え、ええいっ!」
 思い切って振り向くと、顔面がそれに塞がれた。
 ぬめぬめとした、肌色の物質。
 ぬめっているにもかかわらず、ラヴェルの頬をじょりじょりと擦ってくる。
「ひいぅっ!?」
 慌てて顔をはがすと、半分透けるような物質に、なにか吸盤のような口のような妙なものが蠢いている。
 どうやらこれが辺りの草を削り取っていたようだ。
 しかし……。
 ぬめぬめした柔らかな肉塊が、ラヴェルを押し潰さんばかりに迫り来る。
「ふきゃー!?」
 重みに耐え切れず、ラヴェルはそれに包み込まれるようにして潰された。
「た、助けっ……」
 全身が生臭い。
 あきれ果てたようなレヴィンから視線を外して目だけ振り向けば、ラヴェルの目に映ったのは、巨大な肉塊と、そこから飛び出る軟体の角だった。
 特筆すべきものは……その背後に見える、大きな巻貝のカラ。
「か、かたつむり〜〜!?」
 むにょむにょと押し潰されながらラヴェルは自分をひき潰しているものを見上げた。
 どうみても巨大なエスカルゴだ。
 強大な魔物に殺されるならまだ諦めもつくが、カタツムリごときに殺されたくはない。
 きっと後世まで、カタツムリに殺された吟遊詩人などと歌い語り継がれることだろう。
 そんな名前の売れ方は嫌だ。
「レヴィン、助けてよ!」
 見捨てて去りそうな相棒を呼び止めれば、レヴィンは白い目でラヴェルを見下ろした。
「助けるのは構わないが……構わないな?」
「う!!」
 半眼で見下ろされ、ラヴェルは意味を理解すると覚悟を決めた。
「な、生焼け程度でお願い!!」
「ふむ、いいだろう……ファイエル!」
「ぎゃー!!」
 あからさまに不自然な炎が森を焼き焦がし、情けない悲鳴と妙に香ばしい匂いが森の中に充満した。
 黒魔法の炎で焼かれ、エスカルゴの身がジュウジュウと音を立てながら縮んでいく。
「あつ、あつ、あつ!」
 炎で焼かれた挙句、よく煮えた肉汁を全身に被ったラヴェルは火傷だらけで地面を転がりまわった。
「……冷やしてやろうか?」
「遠慮しておきます!!」
 今度は親切を装いつつも実は手加減なしで冷気の魔法をぶち込まれそうになり、ラヴェルは慌てて首を横に振った。
 辛うじて身の安全を勝ち取る。
 そのラヴェルを、しかし残念ながら……中身を失った巨大な殻が、容赦なくごろりと押し潰して転がった。

つづく

<BEFORE   NEXT>

  目次   Novel   HOME         (C) Copy Right Ren.Inori 2001-2012 All Right Reserved.