がんばれ吟遊詩人! ~ラヴェル君の場合2~
第6話:蒼穹(前編)
陽光を浴びて鮮やかに輝く景色はもちろん美しいが、雨に濡れそぼつ景色もまた美しい。
とはいえ、こうも続くとさすがに飽きてくる。
小さな村で雨宿りをしながらラヴェルは空を見上げて愚痴をこぼした。
「あーあ、そろそろ晴れないかな」
空同様にどんよりしている彼を、つまらなそうにレヴィンは見やった。
「そんなに晴天が見たいならアスガルドでも行くか? ここからなら近いぞ」
「……どういうレベルの話」
この大地の世界をミドガルドというが、アスガルドというのは天空にある伝説の世界だ。
実在するかどうかもわからぬ桃源郷。
天の霊気が満ち、古代の叡智の結晶といえる遺跡群が蒼穹に浮かび、その島々を純白の翼持つ美しい精霊セラフが飛び交うという。
まず普通の人間が辿り着ける場所ではない。
「う~~ん……」
重い曇天をラヴェルはまた見上げた。
伝説の土地をラヴェルは知っていた。
その神秘と荘厳さは、確かに地上の人間には手の届かぬものに見えた。
だが、伝説に触れた感動や喜びも、今になって冷静に思い浮かべると重荷でしかなかった。
諦めたようにうなずく。
「どうせ行く場所も決めてないんだし、行ってみようか?」
「そうか」
雨は相変わらず降り続けている。
薄いグレーの景色の中、二人はマントを羽織り直すと雨天に霞む山脈へ向かった。
深い森の中、雨を集めた小川が濁流となって木の根を洗っている。
それらを過ぎ、やがて森林限界よりも上へ登れば霧雲は遥か下、周囲の景色を遮っているのはより高い位置を覆う雨雲だ。
もくもくと水蒸気の塊が目の前を流れていく、いや、むしろ雲の中を二人が歩いていく。
足元の土が消え、砂利道となればもうすぐ山頂だ。
世界の天井といわれる、中央高地の山々。
「抜けた!」
一気に視界が晴れ、ラヴェルは周囲を見回した。
向こうの谷には万年雪、足元の小石の中にはコマクサが揺れている。
幾つかの峰のうち、二人は東から三つ目の山頂に立っていた。
非常に空気が薄く感じられるが不思議と苦しくないのは、空気以外の何かがあるからだろう。
雲海を下にして遥か向こうの尾根に中央高地の中心都市ハイランドの町を見つめながら、二人はしばらく無言で待った。
「ラヴェル」
不意に呼ばれ、ラヴェルは振り向いた。
レヴィンが何か考え込むような表情を浮かべている。
「ここまで登っちまえば関係ないが、中央高地が相変わらず戦乱前夜のような雰囲気なのはわかってるだろう? 都市同士の下らぬ勢力争いというわけだが、それ以外のものも動いている気がする」
「?」
レヴィンの赤い目が雲海に覆われて見えぬ中央高地の大部分を射抜くように見つめている。
緊迫した都市を幾つか彼らは経由してここまで登ってきた。
「何者かが中央高地で何かを探しているが、探し物が中央高地以外の場所にある、という可能性もあるかもしれん。今は中央高地を疑っているようだが」
「……いつかの変な妖術師のこと?」
「ああ」
シベリウスを送る道中、中央高地で妙な黒ローブと鉢合わせしたが取り逃がしている。
「そういえば魔力が高ければ誰でもいいって言ってたね。まぁレヴィンはあちこち移動しているから居場所なんて掴めないだろうけど、クレイル王子は大丈夫かな……」
「ああ、奴がいたな。奴なら大丈夫だろう。ケタが違うし、第一あの程度の妖術では、クレイルの光術を破れはせんよ……来たか」
ふいにレヴィンは言葉を切った。
赤い視線が見つめる方角をラヴェルもじっと見た。
まだ何も見えないが、音は微かに聞こえる。
ギ、ギギィ……ギギィ……。
船体の軋む音だ。
逆光の陽光の中、シルエットを浮かべながら近づいてきたのは、天を漕ぐ巨大な舟だ。
一体どうやって浮かんでいるのか知らないが、大空という海を行く、天空船。
不思議なことに船内のどこにも漕ぎ手の姿は見えず、風がなくても帆はいつも膨れている。
二人を乗せると船は再び青空へゆっくりと浮かび上がった。
どこまでが伝説でどこまでが現実なのか、もはやその境界の区別がつかない。
船体の軋む音を聞きながらラヴェルは甲板に腰を下ろした。
「この船ってどうやって動いてるのかな?」
「俺にもわからんよ。ただ、船体が莫大な霊気に包まれているのは感じるけどな」
操舵輪が勝手に回る様子はまるで幽霊船のようですらあるが、不思議と不気味さは感じない。
「大体の航路は決まっているようだが、確定ではない。船自体がぼんやりとした意識を持ち、乗り降りする者の意志に応じて動いているのかも知れんな」
船の中には二人の他にも人間の姿があるが、地上から乗り込んだ者はいないだろう。
彼らは、古代の地上が天空まで吹き飛ばされ、そのまま天空の島に住まざるを得なかった者達の末裔だ。
「ところでレヴィン、どこへ降りるか決めてあるの?」
「いや。たまには船任せというのもいいだろう」
たまに雲という波をかき分け、鳥と並んで飛び、たまには竜らしき巨大な影に抜かされていく。
船はただマイペースにのんびりと、ギシギシいいながらゆっくり揺れている。
直視出来ぬほど深く鮮やかな青の輝き、毒々しいまでの夕暮れの赤、分厚く天空を覆う星の大海、明け方の白い空。
天空に住まう者しか見られない景色を、二人はただ黙って見つめた。
見知らぬ島に着いたと思えば極わずかに乗り降りがなされるのみ。
こんなことを一体この船は何千年続けてきたのだろうか。
「ラヴェル」
二回目の夜を過ごしていると、レヴィンがなぜか声を潜めた。
「あそこにいる客が見えるか?」
暗い甲板の物陰に誰かが休んでいるらしいが、ラヴェルの目にはそれ以上のことは見て取れない。
エルフ並みの視力を持つレヴィンだからこそ見えるのだろう。
「もしかすると俺達を尾行しているかもしれん」
「え?」
上空の島の陰に隠れていた月が顔を見せ、ようやくラヴェルにもそれがはっきりと見て取れた。
黒いローブの男がそこにいる。
胸元には瘴気を帯びた、より一層暗い色の呪符が月光に怪しく反射している。
「あれって前に中央高地で会った妖術師じゃないか」
噂をしたのがいけなかっただろうか?
あの時以来付け回っていたのか、それとも今回、中央高地を通過した際に見つかったのか。
二人して様子をうかがってみるが、相手に動きは見られなかった。
だが、考えてみれば妙だ。
いくらなんでも天空まで追跡してくるだろうか?
まして船に乗ったら逃げ場はなく、仮に乱闘にでもなれば船が遥か地上まで墜落しかねない。
恐らく相手も何らかの目的があって天空へ向かっている最中なのだろう。
どうやら偶然そこへ鉢合わせてしまったらしい。
「……どこでもいい、降りるぞ」
「そうだね」
二人がうなずきあうと船はゆっくりと上昇を始めた。
|