がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜
第6話:蒼穹(後編)
通路の奥の部屋は正立方体の空間だった。
その中心には炉のような祭壇が組まれ、赤く炎を炊かれていた。
それを背に、妖しい黒ローブと青い影が対峙している。
「血を流すか……人間ではないのではと思ったが、違ったようだな」
「ふん、どうだかな」
黒いローブが炎の色に染まっている。
「まさかここで向き合うことになろうとは……探す手間が省けたというものよ」
「ほう……では尾行していたわけでもおびき寄せたわけでもないんだな?」
目の前にいたのは、間違いなく以前に中央高地で出会った怪しいローブ男だった。
胸元で光る禍々しい呪符からは、それを提げている者と同等の魔力と瘴気が噴出している。
「前に人探しだと言ったな。魔力が高ければ誰でも良いとも言っていたようだったが」
「フフフ……」
妙な含み笑いを漏らし、黒ローブは瘴気の炎を打ち出した。
それを軽く跳ね返し、レヴィンは間合いを取った。
部屋の中はルーンがびっしりと刻み込まれ、見るからに禍々しい。
「最初から俺狙いか、それとも偶然遭っただけか」
レヴィンの赤い目は妖術師よりも部屋の中央の炉に注意を払っている。
黒ローブの答えは微妙なものだった。
「偶然よ……まさか天空の者が見つかるとは」
「……どこで見抜いた」
炉の中に金属のようなものが溶け、黄金色に揺らいでいる。
「そうだな……あの時、貴様が水を放った時か」
ククク、と喉の奥から妙な笑いを漏らしながら黒ローブは瘴気を撒き散らした。
それをレヴィンは冷たく赤い瞳で射抜いた。
「ヴァルハラの手先だな」
天上に住むそれは天空を滅ぼし、その住人を狩りつくした。
地上にまで手を出し始めたということは、それだけでは飽き足らないのか。
神の尖兵とは思えぬほどの黒い魔力を膨大に渦巻かせ、黒ローブは狂喜の笑みを浮かべている。
それを一瞥し、レヴィンは面倒臭そうに呪文を唱え始めた。
「暗く遠き空の彼方、冷たき無限をたゆといて、その禍々しき輝きを今ここへ」
瘴気の渦を巻き込むように夜風のような冷たい空気が流れた。
「何……?」
己の魔力を飲み込まれ、黒ローブは何がおきたのかわからないように室内を見回した。
空間を闇が包む。
「バカな、これは……」
夜空のような暗闇の中に、星のような怪しい輝きが渦を巻き、闇……いや、黒い光が降り注ぐ。
指先で闇の動きを導くと、レヴィンはその魔法を完成させた。
「ユーベル・シュテルン」
黒い光の波動が荒れ狂う。
削り取るような音が響き、瘴気と魔力が沸騰するような音と湯気を上げる。
黒く揺らめく魔力の刃が乱れ飛び、黒ローブに襲い掛かると容赦なく切り刻む。
「貴様、暗黒魔法を……!」
吹き飛ぶ己の腕を視界の端に見ながらローブ男はレヴィンを睨んだ。
「使っちゃ悪いか? 貴様の術だって似たようなもんだろ」
爆音と共に炉が飛び散った。
金色の液体が床にこぼれ、白く硬い塊となる。
「骨だな」
人間の骨だ。
今までに何名も犠牲にしてきているらしい。
魔力の高い者を見つけ、ここで煮詰めていたのだろう。
黒ローブをずたずたに引き裂き、レヴィンは空になった釜を蹴飛ばした。
ウーデンへの捧げものはもはや床でただの金属灰になっているだけだ。
「炎か氷か、それとも死者の国か、好きなところを選べ。送り込んでやる」
「…………」
切断されて黒い液体を垂れ流している己の肩口を見、黒ローブは呻いた。
だが、やがて狂ったように笑い出した。
「フクク、くかかかか! 何か忘れていると思わないかね?」
黒ローブの下げている呪符が光った。
遠見の水晶か鏡のように、それはある風景を映し出した。
ラヴェルが瓦礫に首まで埋まっている。
その天井に……大量の妖魔が息を潜め、食事の時間を待っているのだ。
「あのマヌケ……!」
激しく舌打ちを漏らすとレヴィンは手に集めていた魔力を消した。
「さてどうするかね?」
黒ローブの瞳が、フードの下で狂った笑みに輝いている。
床に落ちていた腕が舞い上がり、残されていた手に握られた。
しおれていたそれが瘴気に解けると、怪しい光を発しながら黒い剣に形を変える。
「君が生贄になるか、それとも彼女がなるか、好きに選びたまえ」
「……アレは男だが」
…………。
凄まじいまでの白けた瞬間をはさみ、黒ローブは剣を構えなおした。
レヴィンの手が己の胸元へ当てられる。
黒ローブが歓喜に目を見開いた。剣の瘴気が爆発的に増す。
「ヴァルハラへ逝けえぇッ!!」
「そこまで辿り着ければな」
鼻で笑い、レヴィンは指先に触れていたものを引きちぎった。
黒ローブの体当たりと同時にレヴィンはそれを全力で投擲した。
クリスタルの欠片のペンダントが窓から投げ捨てられる。
湿ったような重い音がレヴィンの身体から上がった。
身体の内部で何かが弾け飛ぶ。
青く小さな光が空を落ちていくのを視界の隅に認め、レヴィンが視線を戻せばただ黒いものと、自分の身体から赤く噴き上げたものが周囲を覆いつくした。
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轟音の余韻が消え去った後はただ静かだった。
頭に石を載せたままラヴェルは耳で辺りの様子を探った。
「ううう、まだ終わらないのかな……」
この静けさが余計に不気味だ。
「ああっ、まだ光ってるしっ」
目だけを上に浮かべれば、無数の金色の瞳が彼を見下ろしている。
妖魔の目だ。
いつ襲い掛かってくるかわかったものではない。
「レヴィン早く戻って来てよー……」
首まで瓦礫に埋もれ、微かな隙間はあるとはいえそれでもやはり息苦しい。
「…………」
金色の目が一斉に通路の奥を見た。
引きずるような音が近づいてくる。
「ひっ」
ラヴェルの前に姿を現したのは、ローブをずたずたにし、片手には黒い剣を、妙に新しい片手には濡れた茶色い布を引きずった怪しい男だった。
「ひひひ、終わったぞ」
「ええぇっ」
激しく嫌な予感がしてもがくが、脱出できそうにない。
ラヴェルの目は男が引きずっている茶色い布に留まっていた。
床に赤く血の跡を引いている。
布の色は血で赤く染まった色なのだ。
「それって……」
「形見の品だがいるかね?」
「…………」
相手が言わんとしていることを理解し、ラヴェルは黙り込んだ。
いやらしい笑みを睨み返し、ラヴェルは震える声を何とか押し出した。
「そんなことで脅……」
ボシュ……
突然の妙な音に、ラヴェルは口をつぐんだ。
羽毛や毛髪を焼くような嫌な臭いが充満したと思うと、天井から黒く炭化した妖魔の残骸が降り注いでくる。
「ぎゃーーーーーー!?」
ラヴェルの口から思わず悲鳴がほとばしった。
何の前触れもなかった。
だが確かに、音すら立てずに妖魔は消し炭と化したのだ。
がくっとラヴェルの身体が揺れる。
彼を埋めていた瓦礫が砂となり、風もないのに吹き飛んだ。
「何者だ、どこだ、どこにいる!?」
黒ローブが焦ったような声を上げて周囲を見回している。
その濁った目がラヴェルのほうに向けられ、驚いたように見開かれた。
「え?」
思わず振り返ろうとし、しかしラヴェルは視線を戻して固まった。
黒ローブが全身から煙を発している。
あまりの様子にラヴェルはつばを飲み込んだ。
「ちょ、ちょっと……」
視界が薄紅色に明滅している。
胸が軋むような妙な圧迫感が断続的に続き、目の前の淡い光が爆発すると同時、黒ローブが断末魔を上げた。
「ギアアアアアアアアアアアッ!!」
目を不気味に見開いたまま仰け反り、そのまま絶命する。
まるで魂だけを破壊されたようなその形相は凄まじい。
「これは……アストラルフレア!?」
レヴィンが得意とする、いや、彼しか扱えない古代魔法に良く似ている。
自分が瓦礫の束縛から逃れていることにようやく気付き、ラヴェルは慌てて振り返った。
「へ?」
そこには何もない。
石壁そのものが砂に変えられ崩れ落ちたらしい。
目の前には無駄なほどに青く澄んだ空が広がっている。
「な、なにがどーなって??」
ラヴェルが呆然としているとカサカサと乾いた音が耳に飛び込んできた。
目を上げれば……鳥の翼のようなものが……
ばさぁっ!!
「ばふ!?」
何か白く大きなものがラヴェルに圧し掛かってきた。
それに視界を塞がれ、その隙間からは空しか見えないが、恐ろしいまでの浮遊感を感じ、ラヴェルはある恐怖に駆られた。
「ぎゃー!!」
思わず叫ぶが無理もない。
地面など見えるはずもない。
地面の代わりにあるのは雲。
ここから落ちたら……。
ラヴェルは白いものに捕まって空を運ばれていた。
逃れようにも暴れたらミドガルドまで落ちるに決まっている。
「落ちる! 絶っっっ対、落ちるぅ〜〜〜〜!」
人間が空を飛ぶなんて夢のような話だが、生憎と悪夢以外の何者でもない。
情けない悲鳴を上げながらアスガルドの空を飛んでいく。
「ひえええええええーーーー!」
高度が急に落ちた。
絶対に落ちる。
あいにくこういうときに限って失神できないものだ。
涙を拭くことも出来ない。
完全に思考停止していたラヴェルだが、何かが遥か下に見えて我に返った。
地面だ。
羽の隙間から目を凝らせば、白い大理石の美しい柱が見えた。
どこかの神殿か宮殿らしい。
白いものはゆっくりと高度を落とし、その白い建物の中をふわふわと移動し始めた。
中庭のような場所を横切り、そこに面した部屋へラヴェルを……放り出す。
「ぎゃんっ!?」
最後の最後で石の床に激突すると、ラヴェルは不満そうに目だけ上げた。
目の前の床を白い毛皮がもこもこと這っている。
もふっ……
それが顔面を塞いだ。
もっふもふと身体を寄せてくる。
「ひやああああ!?」
慌ててそれを顔から引き剥がせば、手に掴んだのは妙な動物だった。
見た目は毛の長い兔にそっくりである。
だが手足がない。
試しにひっくり返してみると、腹の部分が巨大な肉球になっていて、青虫のように這って進むらしい。
「……どこかでみたような?」
その毛玉を抱え、ようやくラヴェルは体を起こした。
ひたすらに白い室内は非常に美しいが、人の温もりはない。
非常に神秘的な何かを感じる。
腕の中で毛玉がもそもそと動いた。
それがかすかに光を放つと、瓦礫で作ったラヴェルのアザが見る間に消えていく。
どうやら回復してくれるらしい。
ラヴェルは腕の中から逃れたそれを捕まえようとして手を伸ばすが、もう少しというところで空振りした。
別の手が毛玉を捕まえたのだ。
ひょいと兔耳を掴んだそれの姿をはっきりと目にし、ラヴェルはぱっかりと口を開いて硬直した。
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白い。
何がって肌が白い。
服も白い。
しかも姿が半分透き通っている。
幽体あるいは精神体……実体を解いた精霊や幽霊のみがとる姿だ。
そして何よりも特筆すべきは……背に生えた純白の翼だ。
止まった思考を取り戻し、自分が目にしたものを理解すると、ラヴェルは先程よりも激しい勢いで再度思考停止してしまった。
「セ……セ……セラっ、セラフぅ!?」
落ちた顎を両手で抑え、ラヴェルはその生物を驚きの眼差しで見つめた。
正真正銘、本当のセラに間違いあるまい。
アスガルドの住人、美しき者、貴き者、天空人セラフ。
とうとう見た。
太古の精霊であるそれは大昔に滅びたとされ、目にすることは不可能とすら言われていた。
透き通るような白い肌に、純白の翼、淡い翡翠の髪。
様子からするとまだセラとしては子供なのだろうが、それだって何百、もしくは何千年の時を生きているはずだ。
かつて、地上に逃れた氷のセラを一度だけ見たことがあるが、天空で目にしたこれとは比較にならない。
何という美しさ、何という神秘さなのだろう。
完全に思考停止し、ただぼーっとラヴェルはその白い者を見た。
ラヴェルの反応にそのセラは大して興味も見せず、部屋の中を何か探していたようだったが、やがて毛玉の耳を掴んだままどこかへ飛び去っていった。
ひたすらに白く輝くその建物にラヴェルは一人で残された。
やがて我に返り、周囲を見回して気付く。
「……で、どーやって帰れっていうのさー!!」
叫んでも虚しくこだまして帰ってくるだけだ。
「うう、しくしく……」
天空に来てどれだけの時間が経ったのかわからないが、辺りが薄暗くなり始めた。
部屋の中には巨大な水槽以外にこれといったものはないが、白く柔らかい布を見つけ、ラヴェルはそれを毛布代わりにくるまった。
白い天井や壁に朝日がこれでもかというくらいに眩く反射する。
「いつまで寝てるんだお前は」
「……はぇ?」
目を覚ませば、凄まじいまでに白い目がラヴェルを見下ろしていた。
白い室内にひたすら目立つ真っ青な衣服。
「……レヴィン!?」
何食わぬ顔をしてそこにいたのは間違いなくレヴィンだった。
思わず跳ね起きたラヴェルが周囲を見回すと……そこは変わらず白い部屋だった。
レヴィンの足元を白い毛玉がもこもこと這っている。
その長い耳には革紐が引っ掛かり、その先にはクリスタルの欠片が青く輝いている。
レヴィンはそれを拾い上げ、己の首から下げた。
持ち主の元に戻った結晶が淡く光を発する。
それを見届け、ラヴェルはようやく立ち上がった。
「無事だったんだね。どうやってここへ?」
「どうといわれてもな」
部屋を出、通路を二人は歩いた。
崩落した屋根から眩い陽光が降り注ぎ、建物の内部は一層白く輝いている。
「ここはどこなの?」
「上都ザナドゥ、その中心にある水の城だ。少し見物していくか?」
二人は通路を奥まで進んだ。
やがて廊下の先が開け、そこには枯れ切った泉らしきものが見て取れた。
「あの中心に空っぽの台座があるのがわかるな? あそこに巨大な水の結晶が据え置かれていた。世界中の水の叡智、巨大な水のクリスタルだ。ここのセラフは皆、それの子供みたいなもんさ」
「レヴィンも?」
「ああ」
かつては清らかな水をなみなみと湛えたであろう泉も、今は乾ききって湿気すらもない。
「水のクリスタルは仲間のセラが見張っていたが、天魔どもに襲われたとき、奪われるよりはマシだと砕いて地上にばら撒いた。だからミドガルドには水が多い」
多くの湖、川、そして大陸を囲む海。
ミドガルドは緑で表される世界だが、アスガルドとはまた違った青も美しい。
「そういえばさ」
再び歩きながらラヴェルはレヴィンに尋ねてみた。
「ザナドゥってレヴィンのセラ時代の故郷でしょ? 他のセラとは面識ないの?」
ラヴェルの質問にレヴィンは少し考え込んだ。
思い出すことを試みるように言葉を探す。
「昔はセラが大量に飛び交っていたのは確かだな。見覚えがある気がする。ただ顔までわかる奴は……クリスタルの守護に当たっていた巫女くらいか」
「そっか」
面影もなく乾ききった遺跡を水の聖域だと信じるのは難しい。
だがラヴェルはレヴィンの言葉を信じた。
自身以外の同胞は滅びたと思っているらしい相棒に、ラヴェルは見たものを告げた。
「昨日、セラを見たよ」
「ああ、そうか」
喜ぶか驚くかするかと思ったが、レヴィンの答えはそっけなかった。
「驚かないの?」
「当たり前だ、あれは俺だ」
…………。
「へ?」
硬直したラヴェルをその場に置き捨て、レヴィンはすたすたと歩いていく。
「ええええええええっ!?」
ラヴェルの声が廊下を幾重にもこだまするのにも構わず、青い背が遥か先の廊下を曲がっていく。
ただ声だけが戻ってきた。
「さっさと歩け。置いていくぞ」
「あああっ!? ま、待って!」
必死に走って追いつくとラヴェルは相棒の顔を見上げた。
「レヴィンって精神体を操れたんだ?」
「いや」
そっけなく否定するとレヴィンは他人事のように答えた。
「自分でも出来るとは思ってなかった。一か八かで試したら出来たというだけだ。ならば次も出来るかといえば……成功するとは思えんな」
しばらく通路を進めば、反対側の建物へ出たようだった。
「さて、今までの建物はセラの住処だったわけだが、こっちは神殿だ。まぁどうせ何も残っちゃいないだろうが」
乾きながらも涼気を感じる空気の中、二人は階段を昇った。
列柱を見ながら奥へ進み、やがて内部は段差の多い迷宮のような造りになった。
レヴィンの胸元でクリスタルの欠片が淡い光を放ち、道を告げている。
「この先は神殿の中でも独立してたはずだ。いつも霧に覆われて隠され、水煙の城と呼ばれていた」
ペンダントが指し示す方角へ二人はただ歩いた。
「レヴィン」
ラヴェルが気付いたのだから当然レヴィンも気付いているだろう。
視界がかすんでいる。
「まさか。有り得ん」
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淡い墨色の景色は、視界に霧が漂っていることを示していた。
まだ水が残されている証だ。
迷路を抜ければ神殿の中とは思えぬ広く高い空間へ二人は出た。
その中心部に霧の塊が渦を巻いている。
炎を操る天魔も、ここまで達することは出来なかったのだ。
「試してみるか……」
そう呟くとレヴィンは霧の塊を見つめた。
己の胸に手を当てやがて離すと、大きく欠け、全体にヒビが入った青く透き通った宝珠が手のひらに乗っていた。
瑞々しい涼気が風のように宝珠から噴き出し、青い光が辺りを照らす。
「我が同胞達よ、親愛なる友、結晶を持つ者がここに」
宝珠を霧の塊に掲げ、レヴィンは声を響かせた。
「四方より来れ、世界の四方より。天より地より、六方からここへ……世界を統べる意思、精霊達よ。降り来たれ、流れ来たれ、湧き起これ、清きもの、青き水よ」
地響きのような揺れと轟音が鈍く響き渡った。
「レヴィン、何か来るよ」
咄嗟に身構え、ラヴェルはやがて目に認めたものに言葉を失った。
大量の水だ。
霧が滝に姿を変え、激しく流れ落ちると四方へ消え去っていく。
やがて姿を現したものを、レヴィンはじっと見据えた。
「これは……」
霧の消えた所には、水晶でできた城が建っていた。
恐らくこの城自体が祭壇なのだろう。
「入れそうだな」
恐ろしく澄み切った建物に二人は足を踏み入れた。
まるで水の上を歩いているかのように、歩くたびに足元に波紋が広がる。
青く輝く祭壇内部は、灯りをともさずとも淡い光に包まれ、不思議な明るさに満ちている。
あまりの透明度に彼らの姿すら反射しない水晶壁は、どこまでが通路でどこまでが壁なのか全く判別できない。
レヴィンはそれでもこともなげに進んでいくが、ラヴェルは水の壁に顔を突っ込むわ、水晶壁を思い切りつま先で蹴るわ……歩くにつれ微妙な怪我が増えていく。
慎重に歩を進め、やがて二人は中心部に達した。
「はぁ……」
ラヴェルはそこに広がっていた光景をただ眺めた。
非常にシンプルだ。
正方形の広い空間が一つ、そこにあるだけだった。
その正面奥に数段の段差があり、その上りきった面の中央床に、何かが突き刺さっている。
「レヴィン、あれは?」
「わからん」
うっすらと霧をまとった細長いものが見て取れる。
段差を昇り、二人は初めてそれが何か理解した。
「剣だ」
霧に濡れているのは、水煙をそのまま固めたような、透明な刃を持つ美しい剣だった。
「水煙の剣ってところか」
レヴィンがその細い柄に触れると、剣はすっと床から抜けた。
セラフは武器を使わないから、これは魔法的な何かなのだろう。
水の床に手を差し込めば、鞘があった。
刃がぴたりと吸い込まれる。
「!?」
その瞬間、空間が揺れた。
川が流れるような音を立て、周りを包んでいた青い景色が消えていく。
「これは……」
やがて気付けば、二人は白い神殿の建物内へいた。
霧に守られた祭壇の城は消え、その空間の床がただ濡れているだけである。
「役目を終えたか」
恐らくこの祭壇は天魔の炎からこの剣を守るためだけに存在したのだろう。
水のセラ……持つべき存在の手に剣が渡り、もう役目は終わったのだ。
「ご苦労だったな」
消え去ったものに珍しくレヴィンは労いの言葉をかけた。
もうそこには何もない。
「帰るか」
唐突にかけられた言葉にラヴェルは我に返った。
どうやら想像を超えるものばかり見せられ、意識がぼんやりしていたらしい。
ただ、理由はわからないがひどく虚しさだけを感じる。
「帰るって……ああ、うん、帰ろう」
白い通路を抜け、やがて地上部へ出れば、空の青が周囲を覆いつくしている。
太古に滅び、時が止まったここに変わらず存在し続ける青。
やはりここは永遠の蒼穹、天空世界なのだ。
あまりの輝きに、思わずラヴェルは目を閉じた。
つづく
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