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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜

第7話:マビノギ(前編)

 人間は上ばかり見上げたがるが、足元に広がるそれのありがたさに気付いているだろうか。
「ああ、やっぱり落ち着くなー」
 どこまでも広がる草原、大地……地上界ミドガルド。
 やはり人間の故郷はこの緑なす大地である。
 ラヴェルは中津国へと戻り、ディアスポラの南部を横断して辿り着いた港から久し振りにケルティアへ渡った。
 ケルティアで最も豊饒な土地マンスターへ上陸すると、早速宿を確保して町を散策する。
 マンスターの建物はケルティアにしては珍しく、木組みの家が多い。
 故郷シレジアの町並みに似ていなくはないが、ここの空は明るく暖かく、鮮やかな花が窓辺に揺れる様は、いつ見てもうらやましい限りだ。
 明るく穏やかな町を散策し、ラヴェルはやがて噴水の縁に腰掛けた。
 リュートの手入れをしている相棒をその場に残し、ラヴェルはそそくさと立ち上がった。
 広場の向かいから漂う油の匂いに根負けしたようだ。
 小ダラのフライを買い求めると、店先に吊るしてあるタルタルソースの壺を覗き込む。
「さてはお前さん大陸の人間だな?」
 横でやはりフライを買い求めていた長身の男性がラヴェルの頭を軽く小突いた。
「お前、本当の食い方を知らないな? いいか、こいつにかけていいのは塩とたっぷりのモルトビネガーだけだ。そうしたらそのままガブッと食いつく。上品になんざ食うんじゃねぇぞ。それが通の食い方ってもんだ」
「はぁ……?」
 何てワイルドな、と思ったが、ラヴェルは大人しく塩と酢だけを掛けてかぶりついた。
 白身の淡白な味が、薄くカリッと揚がった衣の油に引き立てられ、そこに塩味と酸味が程よく絡み合う。
「あ、おいしい!」
 思わず満面の笑みを浮かべるラヴェルの頭をその男性は乱暴に撫でた。
「素直だな、ほめてやるぞ」
「え、えーと」
 困ったような笑みを浮かべてごまかし、ラヴェルは油のついた指を舐めた。
 男が買った魚はまた違うようだが、それもまたおいしそうだ。
「地元の方ですか?」
「俺かい? そうだな、まぁ地元っつってもいいか」
 その男性は言葉に飾り気はないが、粗野な感じは全くない。
 むしろかなりの美青年といっていいが、かといって決して線が細いわけではなく、シャープさも感じられる。
 一見すると傭兵か何かのようだが、一つにまとめられた長い銀髪と深い紺色の目が、どこか神秘的な雰囲気を添えている。
「俺は遍歴騎士なんでね、あっちこっち移動している。最近はずっとマンスターにいたんだが、丁度昨日で契約の期間が終わったところさ」
「遍歴騎士?」
 聞き慣れない言葉にラヴェルは首をかしげた。
「ん? ああ、大陸にはない言葉だったか?」
 その男性の言葉を要約すれば、遍歴騎士とは、修行や職探し、あるいは純粋に冒険心から各地を渡り歩く騎士で、支配階級に対して一定の期間の庇護と居住や食事等を求め、その代わりにその期間は忠誠をもってお仕えし、トーナメントに出、治安維持等にも協力するらしい。
 忠誠、あるいは、お仕えする、という言葉が出る辺りが傭兵とは違う点だろうか。
 大陸の騎士の大半は城への出仕や荘園管理で過ごしているが、ケルティアでは遍歴する者が大半であるようだ。
「……ケルティアの人って放浪癖でもあるんですか?」
「ははは! 旅人のお前さんがそれを言うか」
 男性は魚を腹に収め、添えられていたざく切りの揚げ芋まできれいに食い尽くすと、辺りを見回した。
「さーて、今度はどこへ行くかね」
 妖精の庭ケルティアは騎士と戦士の国でもある。
 この小さな島国の中には赤枝やフィアナといった伝説的な戦士集団があり、アルスターやマンスターも国王あるいは領主直属の優れた騎士団がある。
 男性は行き交う人々を暫く見定めていたが、やがてからかうようにラヴェルを見た。
「それとも護衛してやろうか? どうみても弱っちそうだしな。これからどこへ行くんだ?」
「……いや、あの、一応連れがいるので」
「ん? なんだ、一人じゃないのか」
 弱そう、という言葉に反論するのは無駄と諦め、ラヴェルは疲れたように肩を落とした。
「レヴィン、どうする?」
 少し離れたところにいる相棒に声を掛ければ、答えはそっけなかった。
「好きにしろ」
 締めすぎた弦を緩め、音を確かめるとレヴィンはようやく手を休めた。
「そもそもラヴェル、次の行き先は決めてるのか?」
「えーと」
 ケルティアは狭い国土に名勝や遺跡が密集している場所だ。
「ここって観光に来るたびにいつも予定が狂うんだよね。今度こそあちこち見学したいんだけど」
 湖水地方やタラの丘、ボイン河の古戦場跡やシャノン河の流域、巨人の道、貴婦人の眺め、幾つもの古城。
 指折り数えるラヴェルを、遍歴騎士は呆れたような目で見つめた。
「お前、それって本当に一箇所も行ったことがないのか? 大陸の人間がこの国へ来たらまずこぞって押しかける場所ばかりじゃないか」
「ああ、何かいつも観光に縁がないんだよね……」
 指同士をつついてラヴェルはがっくりと肩を落とした。
「よし、じゃぁ何箇所か案内してやるよ。俺もまだ次の滞在先を決めてないしな」
「え? いいんですか?」
「どうせ暇だしな。気にするな。そういえば名前を聞いてなかったな。俺はファーガスって言うんだが、お前さんは?」
「僕はラヴェル。向こうはレヴィン」
 ラヴェルがそう答えるとファーガスと名乗った騎士は暫く黙った。
 やがて人目もはばからずに笑い出す。
「へぇ、ラヴェルって言うのか。男の名前だな。てっきり女だと思ってたぜ」
 ファーガスはひとしきり笑うと、無言で涙を流すラヴェルの肩を軽く叩いた。
「で、早速だがどうするんだ? もう出るか? それともここへ泊まるかい?」
 今日は既に宿を確保してある。
 マンスターは気候も良いし、今日くらいはのんびり休むのも良いだろう。
「了解。じゃぁ俺は適当に一晩過ごすから、明日の朝になったら北の城門前で落ち合おう」
「はーい」



 ケルティアらしからぬ温かみのある景色に包まれたマンスターの町を出ると、三人は北を目指した。
「ケルティアには昔、偉大な王がいた。彼は岩から引き抜いた剣を持ち、幻の湖近くにカメロットの王宮を持っていたといわれている」
 ファーガスの語るケルティアの伝説に耳を傾けながら、ラヴェルはゆっくりと緑の中を歩いていた。
「カメロットの王の伝説だね」
「そう。ちなみに岩の剣の伝説は諸説入り乱れていてな、どれが本当なのかは俺でもさっぱりわからん。一説じゃ、このマンスターに残されている古い剣も岩の剣、つまりカリバーンだって言われている」
 名剣カリバーンの伝説はエクスカリバーとも重なるとされ、またそのエクスカリバー自体も諸説あるが、現在ではアルスターの王家に伝わる王者の剣が本物のエクスカリバーとされている。
 柔らかな緑に覆われた丘陵地帯を抜け、やがて目の前には青みがかった空気に覆われた一面の野が姿を現した。
 レンスターの黒い大地を丈の低い草が覆い、小さな花が揺れている。
「この辺りはフィアナっていう集団が守りについている。レンスターで一番有名な場所って言えばやっぱりタラの丘か」
 遠くのなだらかな山に落ちる日を認め、ラヴェルは茂みの下に野宿の準備を始めた。
 南西のミーズから流れてきたボイン河の渓谷を照らしていた赤い光が徐々に薄れていく。
 ラヴェルは小さなマスを何匹か捕まえ、小枝に刺すと火に当てた。
「――――――」
 魚が焼けるのを待っていると、微かに歌が聞こえた。
 聞き逃しそうなほどに抑えられている声だが、詩が全く理解できないことからすぐに歌っているのがレヴィンだとわかる。
「へぇ、大陸から来た割には正確に発音するじゃないか」
 レヴィンが微かな声で歌っているのは古語の詩であった。
 ファーガスは剣の手入れをしていたが感心したようにその手を休めた。
「俺たちケルティア人の言葉は人間離れしてるって言われるからな。古語に至っちゃほとんど妖精の言葉に近いって言うぜ」
「あー、レヴィンはね……」
 魚を反しながらラヴェルは説明に困って言葉を切った。
 レヴィンは大陸の人間とはいえまい。
 いや、そもそも人間といっていいのかどうか。
 ラヴェルがちらっと盗み見るとレヴィンは歌うのをやめて口に水を含んだところだった。
 なぜか一瞬動きを止め、立ち上がると背を向ける。
 それが何か口早に言葉を発するのと、夜気を電撃が貫くのはほぼ同時だった。
 奇怪な悲鳴と共に重い音が地面を打つ。
「何か出たみたいだな」
 手入れしたばかりの剣を手にファーガスも立ち上がった。
「こういう夜の草原は妖精どもが走り回ってるからな、よく会うんだ」
 闇に目をこらせば、野営している地点より若干下流の川沿いに、黒い影が蠢いている。
「バグベアだ」
 どうやら妖精鬼の一種らしい。
 魔法の痺れ矢を放ってくるのを巧みに避け、ファーガスは前に出た。
「ゴブリン仲間ではちょいとタチが悪いほうだが、ま、なんとかなるさ」
 言うが早いか手首を返す。
 鮮やかな赤いマントと真っ青な肩掛けが鮮やかに舞った。
 一匹を切り下ろした剣が逆刃で次の一匹を切り裂く。
 その刃が滑らかに横へ薙ぎ、何匹かがまとめて体勢を崩したところへ両手持ちの刃を袈裟懸けに落とし込む。
 悲鳴を上げる間すらなく土くれに還され、黒いものは地面に沈み込んでいく。
 勇者の多いケルティアを渡り歩いているだけあって、ファーガスの剣の腕前は相当のものだ。
「ほら、終わったぜ」
 レイピアの柄に手を添えたままぼけっと突っ立っていたラヴェルは声を掛けられてようやく我に返った。
 どうやら見とれているうちに終わってしまったらしい。
 長身から繰り出される剣術は豪快であったが、例えばホリンのような荒っぽさはない。
 もっと洗練された美しさを感じる。
「場所を変えたほうが良さそうだな。こっちへ来いよ」
 野営の場所を少し高台まで移して夜を明かすと、三人は再びレンスターの野を歩き始めた。
 川を渡り、フィアナの郷を抜け、やがて遠くになだらかな丘が見えてくる。
「あれがタラの丘だ」
 丘に登ってみると、眺めは良いものの丘自体はひどく殺風景だった。
 芝に覆われた中に幾つか石材が転がっているだけだ。
「つわもの共が夢のあととはよく言ったもんだぜ」
 古代のケルティアの中心であった都の面影はどこにもない。
 転がっている石の表面にかすかに残る複雑な模様のみが名残だろうか。
「ここは塚になっていてな、地中には遺跡の残骸が残っているらしい」
 適当に辺りを指し示し、ファーガスは石の一つに腰掛けた。
「見ての通り何もないけどな。ま、俺はここで待ってるから、お前らは散歩でもしてきたらどうだ」
「はーい」
 ラヴェルはレヴィンと共にタラの丘と周辺の幾つかの丘を散策してみた。
 はっきりと当時の形を残しているものはないが、点在する石材の豪華な彫刻をみれば、当時の繁栄ぶりがうかがわれるというものだ。
 古代の群雄が駆け抜けたであろう道路跡を踏みしめていると、かすかに馬の蹄音が聞こえたような気がした。
 乾いた音が小気味良く響いている。
「あれ?」
 幻影ではない。
 やがて丘と丘の合間から、のんびりと騎馬が姿を現した。
 空を映したような色の髪の若い騎士が手綱を握っている。
「あ、フィンだ」
 近づいてきた馬にラヴェルは手を振った。
 フィアナ騎士団長クールの息子で、以前からの知人であるフィンだ。
 どうやら領内の見回りらしい。
 馬から降りるとフィンはひときわ大きなタラの丘を見上げた。
「おやラヴェルさん。こんなところでお会いするとは。お散歩ですか?」
「うん、ちょっと観光に」
 柔らかな緑の中に時折可憐な草花が揺れる。
「観光ですか……よく旅の方が見えますけれど、正直言ってほとんど何も残ってないんですよね」
 そういうとフィンはタラの丘に登り始めた。
 確かにタラ周辺には古代の遺物が集中し残っている。
 だがその全ては残骸、古の姿を留めている物は、ほとんどないといっても過言はなかった。
 フィンの後について頂上へ戻れば、向こうでファーガスが居眠りをしている。
「あそこにどなたかいらっしゃいますが、その横に立っている石碑は見えますか?」
 フィンが示すほうを見れば、細長い石が立てられている。
「あれは戴冠の石、ファルといいまして、王にふさわしい者が座ると叫び声を上げるそうです。古代のケルティアでは王を決める際にこの石を使っていたそうですよ」
 近づいてみるとファルの石は何の変哲もない細長い石だった。
 恐らくこの石があった場所が最も重要な城の跡なのだろうが、他に当時の面影を示すものはないようだ。
「ん?」
 ラヴェルがうろついているとファーガスが目を覚ましたようだった。
「ああ、戻ったか」
 身を起こして色鮮やかなマントを羽織り直すとファーガスはフィンに目を留めた。
「あれ、どっかで見たような気がするが……誰だったかな」
「こんにちは。フィアナ騎士団のフィン・マクールと申します」
 いかにも敵意がなさそうに、いや、どこからどう見ても能天気そうにフィンが自己紹介すると、ファーガスは一瞬驚いたようだった。
「ああ、お前さんクールの息子か。ガキの時に一度見たことがあったな。親父さんは元気かい?」
「いえ、全然」
「なんだ、また寝込んでるのか」
 クールは名高いフィアナの騎士団長であるが、身体が弱いのか、あるいは昔負った傷のせいか、体調を崩すことが多いらしい。
「ところでどちらさまですか?」
「俺はファーガス・マクロイだ。覚えて置いて損のない名前だぜ? 親父さんならわかると思うが」
 さりげなく名前を売り込むとファーガスは立ち上がった。
「よしラヴェル、そろそろ出発しようぜ」
「そうだね。じゃぁフィン、またね」
「はい。良い旅を」



 ケルティアには妖精の庭、騎士の国、詩人の国などと色々なイメージがあるが、騎士の国のイメージは恐らくこのレンスターの野と、ここを駆け巡る騎馬の姿から来ているのだろう。
 青い野を更に数日北上すれば、やがて目の前を高い崖が遮った。
 これを登ればアルスターに入る。
「さーてどうする」
 ファーガスは幾つかの方法を示した。
「獣道を登るか。それとも崖が低い場所から段階的に登るか、大人しく東の街道の迂回ルートへ回るか、あるいはもっと西から山道を行くか」
 街道をそのまま進むのは味気ない。
 美しい谷間を抜け、山道から湖水地方へ抜けるルートがあったはずだ。
「じゃぁ西の山道がいいな」
「了解」
 崖を迂回し、進路を西に取る。
 この付近は低い山が連なり、渓谷を清水が流れて行く様子は非常に美しい。
「見てのとおり、秘境って感じだな。人間がいない分、妖精連中が多いから多少のことは覚悟しておけよ」
 緩やかな曲線を描く両岸の岩肌を、うっすらと覆う緑の隙間から細く白い滝が行く筋も流れ落ちている。


 深き谷に水は白く流れ
 大地の隠れ家、妖精の通り道
 見えぬ姿を風に揺らし
 聞こえぬ足音だけが通り過ぎてゆく
 祝福されし者、良き友たちの庭
 美しき異郷への通い路は
 深きエメラルドの谷


 昔の詩人がそう記したとおりの景色の中をラヴェルはゆっくりと進んだ。
 せせらぎの音が妖精の会話のように聞こえる。
「これこれ、これがケルティアのイメージだよね。エメラルドの谷、島」
 満足そうにラヴェルは辺りを見回した。
 突如、小川で何か跳ねるような音がした。
 音からして相当に大きな生き物のようだが何も姿が見えない。
 ファーガスにはその生き物が見えるようで、飛沫の上がる水面を深い紺色の目で見つめた。
「ウォーターリーパーだな。タチは結構悪いほうだが、まだ子供みたいだ。近づかなきゃ大丈夫さ」
 水跳ね妖精の足音を背に、更に谷を上流に進めば、いつしか低山帯の麓へ辿り着いていた。
 湿地にクレソンの濃い緑と白く繊細な花がレース模様を描いている。
「ここから北東へ進めば湖水地方だ。行こうぜ」
 どうやらいつの間にかレンスターからアルスターへ抜けていたらしい。
 やがて高台で足を止めれば、湖が空を映して幾つも青く輝いているのが見えた。
「うわぁ、キラキラしてる」
 静かに森を映す故郷の湖沼群とはまた違う輝きと神秘さだ。
 そのうちの一つの湖畔に彼らは腰を下ろした。
 草がゆれ、顔を覗かせる岩の影に花の蕾が彩りを添えている。
「この湖は霧の湖と呼ばれる。今日は珍しく晴れてるな。こういう日は湖面に山が映る。見えるかい?」
 ファーガスに手招きされ、ラヴェルはその場所に立ってみた。
 緑色の山が湖面にはっきりと映っている。
「あれはここから南西のベン・バルベンと呼ばれる山だ」
「あれがバルベン山かー……」
 美しい景色の中、ラヴェルはその不思議な形の山をじっと見つめた。
 ケルティアの神話や伝説に幾つも語られる魔の山。
 一見するとおどろおどろしい雰囲気は全く感じられず、むしろ非常に明るく美しく見える。
「ファーガスさんはあの山に登ったことは?」
「あるよ。行ってみるか? 案内してやるぜ」
「う、やっぱりいいです!」
 ラヴェルは慌てて首を横に振った。
 莫大な魔力に包まれ、とてつもない化け物がすむという魔の山。
「なんだよ、怖いのか?」
 ニヤニヤしている遍歴騎士からラヴェルは後ずさった。
 背後からレヴィンの白い視線と冷めた声が投げつけられる。
「案内役がいるのなら大丈夫だろう。あの山が厄介なのは麓の森だけだ。頂上まで行っちまえば問題ない」
「なんだ、あんたも登ったことがあるのか」
「一度だけだがな」
 ファーガスとレヴィンが登ると言い出したら困る。
 ラヴェルは慌てて話をそらした。
「ところで湖にまつわる話は何かないのかな?」
「ああ、それだったら」
 ファーガスは目の前の湖を示した。
 清く澄んだ、それでいてとてつもなく深い水を見ながらラヴェルは話に耳を傾けた。
「この霧の湖は伝説上において重要な位置にある。昔、この湖に不思議な女が住んでいた。王に剣を与え、彼が死ぬと共にアヴァロンへ去り、この世界から剣も持ち去られた」
「湖の剣……エクスカリバーのもう一つの説だね」
「そう。湖の貴婦人ニァムといってな、魔法に長け、幻を使い、王すらも従えていたとさ」
 風にゆらゆらと草が揺れる。
 水音を立てる湖岸に立ち、ラヴェルは無意識に竪琴を弾いた。
 澄んだ音色が気まぐれに響く。
「……お前、詩人のクセに竪琴下手クソなんだな」
「あううぅ」
 情けない涙をこぼしながら、ラヴェルは竪琴をしまい込んだ。
「それより今夜はどうするの? また野宿?」
「いや、町へ行こう。エニスキレン。良い町だぜ」



 流れる雲や山影が湖面に映り行く。
 湖と湖の間の土地を歩き、やがて大きな湖のほとりへ辿り着けば、そこは整備されていて、まるで小さな港のようでもあった。
「ここがエニスキレンの入り口だ」
「入り口って……」
 湖畔に町らしきものはない。
 ただ、昔は相当の栄華を誇ったであろう城の遺跡が影を水に落としている。
「これは城の遺跡。町は……あそこさ」
 指差された先は湖のど真ん中だった。
 湖に浮かぶ島にこじんまりした町が見て取れる。
 湖を渡って辿り着いてみれば、陸から見たのとは違い、かなり大きな町だ。
 宿を確保して酒場へ繰り出せば、陽気に賑わう様子が灯された火に赤々と照らし出されている。
 手拍子、手風琴の音、幾つもの歌声。
 給仕娘は軽快に皿を持って走り回り、そのたびに食欲をそそる匂いが漂っては混ざり合う。 
「お嬢ちゃん、ちょっといいかね」
 呼び止めた給仕娘が近づくと、ファーガスはもう一度繰り返し、言葉が通じないと見るとやがて何か別の言葉を口早に話しかけた。
「――――」
 ラヴェルには全く理解できない言葉は現地の方言だろうか?
 やがて追加で運ばれたウィスキーを待ってましたとばかりにファーガスは口をつけた。
 琥珀色の酒が芳香を漂わせる。
 ラヴェルが耳をそばだてていると、共通言語にケルティアの言葉、更にその方言らしき言葉と、三つの言語が飛び交っている。
「言葉が豊かだね」
「ははは、どうだろうな」
 グラスを置くとファーガスは店内を見回した。
「ま、この町は半々ってとこだな。多分ここが一番多いんじゃねぇのかな」
「何が多いの? ……あっと」
 甲高い音が響いたがこの賑やかさでは給仕娘も気付かないようだ。
 落としたナイフを取り替えてもらおうとラヴェルがきょろつくと、目の前をお盆を持った娘が通り過ぎた。
「あ、すみません」
「――――??」
 にこやかに近づいてきた娘の言葉を解せずにラヴェルは一瞬焦ったが、横からレヴィンが口を挟んだ。
「――――――――――――」
 何か暫く会話するとやがて給仕娘が代わりのナイフを持ってくる。
「レヴィン、何を話してたの?」
「お前、会話できたのか」
 どうやら相棒は言葉が通じるらしい。
 ファーガスが驚いたようだったが、レヴィンは気にした様子はなかった。
「あの娘、妖精族だそうだ。向こうの娘もそうらしい」
「えっ? そうなの??」
 驚いてラヴェルは店内を見回したが、一目で妖精とわかるような存在はない。
「この町はな」
 塩ダラをつまみにファーガスはこともなく言い放った。
「一応は人間世界に存在してるが、見えない部分で妖精界にも接している。二つの世界の中間点にある町なのさ。かなりの数の住人が妖精族だろうよ」
「ええっ!?」
 湖に浮かぶ美しい町。
 確かに人間の町にしては異郷風でもある。
「さっきから飛び交ってる言葉のうち、お前さんが理解できていない部分はつまり、精霊語って奴だよ」
「それって……精霊使いしか理解できないっていうあれ?」
 精霊語と呼ばれるそれは、言語というものとは程遠く、普通の人間には学ぶのも難しいという。
 一説によれば精神の波長を言葉のような音にして発しているともいわれている。
「だな」
 妖精にも人間の言葉を理解できる存在は多いが、出来ない存在もまた多い。
 人間の言葉を話している娘達の中にも妖精は混じっているかもしれない。
「この近辺に住んでるのは基本的には気のいい連中だからな、こうやって人間達と陽気にやってるのさ。山岳地帯まで行っちまうと危険になってくるが」
「そっか」
 理解できぬ会話や歌を耳に聞きながら、ラヴェルはオーツ麦の粥をすすった。
「あれ? そうすると、レヴィンはわかるんだけど、ファーガスさんも精霊語の会話が出来るっていうのは?」
「あー、やっぱ変か?」
 銀色の頭をファーガスは困ったようにかき回した。
「普通なら精霊使いになるんだろうけどよ、俺は魔法はちょっと向いてなくてな。剣を振り回してるほうが性に合うというか」
 精霊語が理解できる人間はあまり存在しない。
 妖精との接触が多いケルティアに若干見受けられるという程度だ。
「あ、じゃぁ生まれつきなんだね」
 精霊使いになれるかどうかは生まれつきの資質で決まるという。
 かといって資質があるからといってなれるものでもないらしいから、ファーガスはその例なのだろう。
「いや、それが俺のは後天的なもんでさ」
「へ? そんなことってありえるの?」
「まれにはな」
 そう答え、ファーガスはレヴィンに目を向けた。
「つーか、アンタも珍しいよな。ケルティアの人間じゃないんだろ? 大陸の人間に精霊語が話せる奴なんていると思わなかったぜ」
 精霊語がわかるといっても、それはなんとなく意思の疎通が出来るという類の者がほとんどで、はっきりと口で会話しあうことができる者は精霊使いでも少ないという。
 少し考えるような素振りを見せ、レヴィンはやがてどこか投げやりに答えた。
「俺は……説明に困るがな。大陸にだって精霊使いが全くいないわけではない。極端に数が少ないのは確かだが」
 例えばクレイルの叔母は精霊使いでスプリングスの祠に住んでいるそうだ。
 ただし、ラヴェルの身近なところで精霊使いだと判明しているのは彼女くらいで、他の精霊使いがどれくらいいるのかはラヴェルも知らない。
 加えてレヴィンはこのミドガルドの出身ではない。
 精霊魔法など使えて当たり前の世界で生まれた身であり、もちろん使いこなせて当たり前だが、それをファーガスに語る気は、レヴィンにもラヴェルにもなかった。
 賑わいはますます盛り上がりを見せている。
「さて、明日も早く出るぜ。俺は先に寝る」
「うん、おやすみ」
 案内人が先に部屋へ戻ると、ラヴェルはレヴィンと共に少し外へ出てみた。
 湖からの涼気が町を覆っている。
 夜の闇に視界は暗いが、微かに湖が見て取れる。
 湖の向こうは妖精の土地なのだろうか。
 涼しさに身震いを一つし、ラヴェルはやがて宿へ戻った。

つづく

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