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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜

第8話:失明(後編)

「王子!」
「ばふ!?」
 相手が国王に即位していることを忘れ、ラヴェルはクレイルを捕まえると城門脇の小部屋へ連れ込んだ。
 クレイルが菓子パンを口にくわえたまま窒息しかけているが構っていられない。
「何とかなりませんか」
「ちょっと待ってラヴェル、大変なのはわかるんだけどまず状況を説明してくれないかな」
 衛兵の詰め所から人を払うと、クレイルは怪我人を慎重に見定めた。
 それを見守りながら、ラヴェルは何とか鼓動を落ち着かせると声を絞り出した。
「いきなり襲われて……クヤン様の一団がいたんです、国境の森の中に。最初に矢を仕掛けてきて、そのあと襲い掛かってきて」
 まだ生きているようだがレヴィンは何の反応も見せないでいる。
 ただ己の片目を手で覆い、その指の間からはどす黒い血が流れ続けていた。
「クヤン様って……ラヴェル、彼は確かに亡くなったよ。見てなかったのかい?」
「見てますよ! まさか不死身じゃないでしょうね?」
「いくらなんでもそれはないと思うけどなぁ」
 クヤンが消滅した現場に居合わせたのはラヴェルとレヴィン、このクレイルの他、ホリンとフィンの両名くらいである。
 その全員がクヤンは死んだものと認識していた。
 口を挟んだのはファーガスだった。
「さっきの奴、あからさまに人間じゃねぇぜ。ありゃ妖精か何かの類だ」
「レヴィンは何か言ってなかったかい?」
「いいえ」
 クレイルが知る限り、この世界で妖精や精霊の類に一番詳しいのはレヴィンだ。
「あ、ちょっと待って」
 一度は首を横に振ったラヴェルだが、レヴィンが漏らした呻き声を思い出し、それをクレイルに告げた。
「倒れた直後にタスラムって言ってました」
「んんっ? それって……」
 何かに思い当たったようにクレイルが声を上げるより早く、ファーガスが答えた。
「魔弾タスラム。古の時代、光の神ルーが魔眼バロールを倒すのに使ったって言う魔法の武器だ」
「バロール……!」
 ファーガスの語った名に、ラヴェルはそれ以上言葉が出なかった。
 クレイルも重く黙り込む。
 ソファの上に横たえられた青い影はピクリとも動かないでいる。
「レヴィンは……」
「とにかく安静にしたほうがいいね」
 ラヴェル達がいつも見ているレヴィンの赤い瞳は固く閉じられている。
 彼が押さえているのは常に隠しているもう一つの瞳、黒と赤の異形の目だ。
 直視したら最悪死に至るほどの魔力を浴びせられるそれをこのまま直接確める訳には行かない。
「城内へ運ぼう。地下に僕の隠れ書斎があるから、そこへ」
「了解」
 ファーガスがそれを慎重に抱え上げると、クレイルは彼には似合わぬ速さで駆け出して行った。
 部下達に次々と指示を出す。
「ディアスポラとの国境を閉めて。関所以外も厳重に見張りと巡回を。誰も入れてはいけない。流通は中央高地との山岳ルートへ迂回を。ハイランドは戦争状態だから警備を同行させて。それから今日の客人のことは誰にも語ってはいけない。いいね」
 厳重に緘口令を敷くとクレイルは施療師と魔道士を選別し、並ならぬ医療体制を組み上げ始めた。
 一方、地下の隠し小部屋に辿り着いたラヴェルはレヴィンを部屋の奥へ匿った。
「ここへ寝かせて」
「ああ」
 慎重に青い身体を降ろしながらファーガスはそれを見やった。
「まさかこいつにバロールが宿ってるとはな。並の人間じゃねぇのはわかってたが、全然気付かなかったぜ」
「あの……」
「大丈夫、誰にも言わねぇよ」
 意識が戻る気配はない。
 ラヴェルが不安に押し潰れそうになっていると、慌しい足音を立てながらクレイルが老人を連れてきた。
 魔法医として名高い賢者だ。
「治せるかい?」
「診てみなければなんともお答えしかねますが……」
 まずはどうやってこの魔物の目を診るかが問題だ。
 直視するには危険すぎる。
 まず鏡を使うという方法が思いつくが、例えばメデューサの視線は鏡で反射しても相手を石化させるという。
 つまり鏡では魔力まで反射してしまう。
「魔力さえ何とか防げればいいんだけどなぁ」
 考えあぐねるクレイルを見、ファーガスは賢者に声を掛けた。
「どれくらいの時間耐え切れれば診察できる?」
「正直に申し上げて、全くわかりません。何せ未知の状態ですので……」
「反射して見えりゃ鏡じゃなくてもいいんだろ?」
「ええ」
 だが魔力まで反射しては意味がない。
 ファーガスはなぜか剣を抜いた。
 刃が鈍い黄金色に輝く。
「魔眼がどれくらいの強さなのか俺にもわからねぇが、少しだけなら耐えられるだろう。この刃には魔力を無効化する力がある」
 刃を鏡代わりに映し、それを見ながら診察しろというのだ。
「危なくなったらすぐに目を逸らして飛び退け。いいな」
「わかりました」



 魔物が取り憑き、その器を乗っ取ろうとしている瞳を診察するなど危険極まりない。
 どす黒い血の付着したレヴィンの手をどかし、汚れた前髪を退ける。  
 ラヴェルはぎゅっと目を瞑った。
 その脇では魔法医の腕が極微かに動いている。
 ファーガスの剣の表面に映ったものに賢者はうめき声を上げたがやがて無言で診察を始めた。
 魔力とせめぎ合う刃が赤っぽく色を変えていく。
「ダメです、これ以上!」
 叫ぶと同時、賢者は身を反らせた。
 同時にファーガスも剣を引いた。
 その手が痺れたように小刻みに震えている。
 握られた刃の表面には白く乾いた波紋が水垢のようにこびりついていた。
「なんつー魔力だ……それで、容態はわかったのか?」
 クレイルに支えられて賢者はしばらく肩で息をしていたが、大きく深呼吸をするとゆっくりと首を縦に振った。
「かなり厳しい状態です。相当な魔力を凝縮したものが突き刺さって炸裂したようで凶器は残っていません。凶器があるとしたらその魔力そのものでしょう」
 どうやらそれがタスラムの正体であるらしい。
「傷の具合は?」
「完全に目を貫通しています。その奥にまで達しているかと」
 呻き声の一つも上げず、身動きの一つもしないということは、頭の内部まで損傷していることの表れだろうか。
 魂を消滅させられない限り何度でも姿を現す精霊という生物がレヴィンの本体ではあるものの、人間という生物に転生してしまっている以上、生死はその身体と生命力が左右する。
 せめて意識があれば過度の傷でも幻影から多少の再生は出来るようだが、あいにく意識はない。
 ラヴェルは無意味に天井を見上げると大きく息を吐いた。
 クレイルも似たような状態だったが、それでも賢者に次々に質問を投げかけた。
「治療法はあるかな? ある場合、何か用意するものは? ない場合、とりあえずは何をしたらいい?」
「そうですね……」
 息を休めると賢者は若い国王の顔を見つめた。
「何かよくないものが入って毒に変わってもいけません。治る治らないに関わらず、潰れた目は取り除いたほうが良いでしょう。消毒用の薬草と清浄な水を大量に用意してください。それと封印できる入れ物を」
 そう伝えると賢者は紙に目の図を描いた。
 傷の具合を詳細に書き込み、何かの角度を計算しては書き加えていく。
「用意が出来たらすぐに行います。危険ですから携わる者以外はお人払いを」
「わかった」
 大量の薬草を煎じ、消毒液を作ると魔法医数名のみが部屋に入り、ラヴェルとファーガスは部屋から出された。
 破れた瞼を閉じさせ、紙に記された情報を頼りに瞼の横端からその隙間に慎重に針を差し込んでいく。
 瞳の治療をするのにその瞳を直視することが出来ない以上、手探りでの治療には相当な時間が掛かるだろう。
「大丈夫かな」
「待つしかないだろ」
 暗い廊下でラヴェルは声を押し殺した。
 答えるファーガスの声もどことなく陰鬱だ。
「ラヴェル」
 やがて扉を開けクレイルが姿を現した。
「まだ相当時間が掛かるから、上の部屋で休んでおいで」
「レヴィンは大丈夫ですか?」
「うーん、今の時点では何とも言えないなぁ」
「そうですか……」
 気分だけでなく足取りまで重くラヴェルは階段を上がった。
 いつも泊めてもらう部屋に、倒れるように身を投げ込む。
 日が暮れ、薄闇が濃い闇に移り変わっていくのをただ無言で天井に映し見る。
 ベッドの上で身じろぎもせず、ラヴェルはひたすら時間が過ぎるのを待った。
 天空で受けた傷すら上回る怪我を今まで幾度も耐え抜いて来たのだからレヴィンが簡単に死ぬとは思わないが、それでも最悪の事態が頭をよぎる。
(いつもクヤン様なんだよなぁ……)
 寝返りをうちながらラヴェルは以前に起きた事件を思い出していた。
 ラヴェルがレヴィンと出会ってから、レヴィンとクヤンはラヴェルが知る限りでは三度戦っている。
 互いに無傷で済んだのは最初の一戦のみ、二戦目は確実にレヴィンが死んだと思ったが、それほどの傷に精神が暴走して魔力を放ったらしく、ラヴェルやクレイルまで巻き添えに精神世界まで飛ばされる羽目に陥った。
 そのときに結局レヴィンは助かったようだったが、恐らくクヤンは死亡している。
 だが聖騎士でもあるクヤンは神に気に入られてもおかしくはない。
 死した英雄エインヘルヤルとなって三度レヴィンに戦いを挑み、このときもレヴィンが瀕死の重傷に陥っているが、負けたのはクヤンだった。
 今度こそ消滅したと思ったが、クヤンらしき影はまだ蠢いているようだ。
 人とセラ、更にバロールの融合体であるレヴィンが頑丈なのは理解できるが、いくらクヤンが優れた戦士であっても彼はそこまで動き続けられるだろうか?
(もし本当にエインヘルヤルになっちゃったのなら不死身かもしれないけど)
 神の英雄にしては行いに悪意を感じる。
「ラヴェル」
 明け方近くになり、ファーガスが部屋を訪れた。
「終わったみたいだぜ。さっき下へ降りたら魔法医達が出て来てた」
「そう……」
 まだ暗い室内にろうそくを灯すと、しばらくしてクレイルが二人を呼びに来た。
「寝てなかったのかい。終ったよ。何とか無事に済みそうだ」
「本当ですか」
 精神的な疲労で喜びの声にも張りがない。
 何とか立ち上がるとラヴェルはクレイルの後ろを歩いた。
 レヴィンは別の部屋に移され、寝息の音も立てないで眠っている。
「ここでずっと匿うのは厳しいね。いつまでも国境を封鎖していても怪しまれるだろうし。何日か経ったらニンフェンブルグへ行こう。あそこの城なら部外者は誰も出入りしない」
「はい」
 幾重にも包帯の巻かれた顔には何の表情もない。
 ただ眠り続けている。
「それと」
 クレイルは細い視線を机の上に向けた。
 黒い小箱が厳重に封をされて置かれている。
「取り除いた目が入れられてるんだ。中身の視線が箱を透かし見ないように内側は鏡張りになっている。バロールの証ではあるけれど、これがバロールの本体ではないみたいだ。まだレヴィンの中に巣食っていると思う」
「……そう、ですか」
 小さな王城でラヴェルは身を潜めたまま過ごした。



 たった数日の時間が途方もなく長く感じられる。
 部屋に匿ってもらいながらラヴェルは薬湯を苦労してレヴィンに飲ませていたが、残された目を開ける気配は全くない。
「なぁラヴェル」
 護衛をするかのように付き添っていたファーガスが問いかけてきたのは四日目だった。
「そろそろ話してくれても良くねぇか? こいつ何者なんだ? 魔眼持ちだってことはわかったが、今まで何があったんだ?」
「それは……」
 ファーガスは恐らく味方になってくれるとは思うが、それでもラヴェルは躊躇した。
 しばらく迷っていたが、このまま黙り通せるとも思わない。
 意を決するとラヴェルは今までのことを説明することにした。
「レヴィンと会ったのは一年くらい前だったかな。それからずっと一緒に旅してる。何か変な人だなぁとは僕も思ってたんだけどね」
 パッと見たところレヴィンは流れの不良詩人のようだった。
 下手をすれば町のチンピラに見えかねなかったが、歌も竪琴も若さの割には一流であったし、何より目立ったのは、大量の知識とその魔法の能力だった。
「古代魔法、つまり禁呪すらもレヴィンは軽々と操るんだ。精霊魔法だって大陸では滅多に見ないのにさ。妖術や暗黒魔法の類までレヴィンは知ってる」
「……一つ疑問なんだが、そいつ、歳って幾つなんだ? それ全部身につけるには相当な時間が掛かるぜ。いくら天才でもよ」
 正確な答えのない質問にラヴェルは頭を抱えた。
「僕と二つ違いらしいから二十四になるかどうかってところじゃないかな。でも……」
 レヴィンは身体こそ人間だが、中身はセラフの転生体である。
 身体年齢は二十数年でも、魔力や知識に深く関わっている魂的な部分は、重ねてきた年月を測ることなど人間には不可能であろう。
「いや、あのね、この人は転生体だから実際の年齢わからないんだけど」
「は?」
「……ええっと……わかりやすく言うと水の精霊? ……らしい、よ」
 セラフだなどといってもどうせ信じてもらえないだろうから、司っている属性だけをラヴェルは口にした。
 部屋の隅にリュートと水煙の剣が手入れもされずに放置されている。
「なるほど、ね。魔法の能力と精霊語がわかる理由については分かった。続きは?」
「うーん……あとはバロールの関係なんだけど」
 これに関してはラヴェルも詳しく知っているわけではない。
 クヤンの話とレヴィンの話から聞いた範囲内で判断するしかない。
「レヴィンは転生体だって話したけど、ほら、精霊だから、魔物にすれば良い獲物なんだ。魔力が高いしね。転生する際に魔物を崇めている存在に見つかったらしくて、人間に生まれてすぐさらわれたみたい」
「その魔物ってのがバロールか」
「うん。バロールを崇拝する集団が、昔倒されたバロールの残骸を持っていたみたい。それをレヴィンに取り憑かせたらしいんだ」
 指の関節を鼻に当て、ファーガスは確認するように問い返した。
「じゃぁ、こいつはバロールの生まれ変わりとか本人とか言うわけではないんだな?」
「うん、取り憑かれてるだけだと思う」
 一睨みで相手を殺すことも出来るといわれる魔眼を持つバロール。
 そうでなくとも魔力の高いレヴィンにそれが加われば、彼の魔法が桁外れ以上の破壊力を持つのは当たり前というものだ。
「でもクヤン様はバロールをレヴィンごと倒そうとして何度も襲い掛かってきた。今度も多分そうなんだと思う」
「クヤンねぇ……」
 敬称をつけずに呼び捨てると、ファーガスは腕を組んで考え込んだ。
「先般のあれは人間じゃねぇな。昔、本国で見たときは人間だったが……遠くから見ただけだからな。確認しておくべきだったかな」
「うん、僕も前は普通の人だったと思ってる」
 組んでいた腕をほどくとファーガスはラヴェルの頭に手をぽんといた。
「それにしてもお前も大変だな。巻き込まれっぱなしだろ?」 
「えーと。まー、それは何と言うか……」
 困ったようにラヴェルは己の指同士をつき合わせた。
「えーと、自分でもあんまり信じたくないんだけど……」
 レヴィンと旅先で出会ったのは偶然だったと思う。
 だが、今思えばそれは必然だったかもしれないし、切ることのできない腐れ縁だとも思う。
 いじけた子供のようにしばらく指をつついていたが、ラヴェルはやがて溜息をつくと諦めたように答えた。
「……レヴィンて、一応、僕と兄弟らしいんですけど」

 …………。

「はぁ!?」
「あーやっぱり、そういう反応だよねー……」
 ラヴェルの眼前で、端正なはずの顔が間抜けに口を開けたまま沈黙している。
 厳密には兄弟とは違うのだが、全く同じ血が流れているのは否めない。
「兄弟ってお前、じゃぁお前もフォモールだったり水の精霊だったりっていうのか?」
「そうじゃないよ。僕はレヴィンの転生後の……人間の部分での関係」
「……だよな。そーだよな、お前さん、魔法ダメだもんな」
 やっと納得したかのようにうなずいて口を閉じたファーガスにますますいじけながらラヴェルはがっくりと肩を落とした。
 扉がノックされたのはそのときだった。



「入るよ〜」
 姿を現したのはクレイルだった。
「少し休んだら? お茶を入れるねぇ」
 木靴を鳴らしながら近づくとクレイルは紅茶をなみなみとカップに注いだ。
 薬草の薬臭い匂いが充満していた部屋に、紅茶の香りがほっとする空間を作り出す。
「この後の事なんだけど」
 ナッツの焼き菓子を噛み砕くとクレイルは紅茶と共に喉へ流し込んだ。
「国境の封鎖を解くから、変なのが入ってくるかもしれない。今日の夕方、ニンフェンブルグへ出発しよう。カモフラージュにファーガス君にはこの王都にとどまって欲しい。ニンフェンブルグにはラヴェルと僕で行くよ」
「ここにとどまっていると見せかけるわけだな、了解」
 いかなクヤンでもシレジアの王都に攻撃は仕掛けにくいだろう。
 クレイルの血筋は神の光の系譜であると世界的に認知されている。
 そこへ攻撃を仕掛ければ、神の国を自任するディアスポラであるからこそ威信が落ちるというものだ。
 もっともあのクヤンと神官の群れの異様さを思えば、本当にディアスポラの一団なのかは相当に疑わしいが。
「じゃぁ行こう」
 準備を済ませると、夕刻の人込みに紛れてラヴェルとクレイルはブレスラウの町を東へ発った。
 クレイルの懐刀である南部隊の部隊長にレヴィンを抱えて騎乗させ、湖に浮かぶ王家の別荘へ身を隠す。
 ニンフェンブルグは美しい湖上の城で、湖畔の町とは一本の橋で結ばれているだけだ。
 美しさとは裏腹に城壁や城門は非常に頑丈で、昔は水上の要塞であったことが良くわかる。
 島の東のベルクフリート内部の部屋を整え、そこにレヴィンを寝かせると、中隊長に命じて篭城に充分な薪と食料を湖畔の町から調達する。
「よし、ご苦労さん。君は元の守備に戻って欲しい。何事もなかったようにね」
 黒い馬が去っていくと、クレイルは跳ね橋を上げた。
 町と繋がる長い橋は城側の端部分だけが跳ね橋構造になっているのだ。
 長い夜が始まる。
 ラヴェルは窓を開けてみた。
 室内の蝋燭以外に明かりはなく、外には何も見えない。
 周囲を囲むのは漆黒の闇だけだ。
 ただ水音だけが絶えることなく耳に伝わってくる。
(もう起きてくれないのかな……)
 呪文詠唱とイヤミ以外は口にしないんじゃないかと思いたくなるレヴィンだが、それすらも聞こえてこない。
 向こうの部屋ではクレイルが暖炉で湯を沸かしている。
 窓を閉めてラヴェルはベッド脇に座った。
 部屋の暗がりに、微かに埃を付着させたリュートが丸い胴体をうっすらと浮かび上がらせている。
 この音色を聴ける日は再び来るのだろうか。
 毛布から出ているレヴィンの手に触れてみれば、その手は冷たく乾いていた。

つづく

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