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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合2〜

第11話:生命の大地(後編)

 気付いた時には夜も更けている。
「……あれ?」
 レヴィンがいない。
 目をこすって周囲を見回すと、湖面に無数の燐光が固まっていた。
「鬼火……?」
 そっと身を起こし、水際まで進めば、燐光の飛び交う中心にレヴィンの姿が見えた。
 腰の辺りまで湖水に浸かっている。
 何かの音が漂った。
 耳を凝らせばそれはリュートの音色だった。
 どうやらレヴィンがリュートを弾いているようだったが、それは曲になっていない。
 ただ、ポン、ポン……と弦を弾く音が夜気の中をうっすらと漂っているのだ。
 そのままずっとレヴィンはそうしていた。
 やがて空が白む。
 朝日が射し始めると、一面をふわりと白く霧が覆った。
 その景色に幻惑されたかのようにラヴェルは声も出ないままレヴィンを見つめた。
 陽光が湖面に射し込み、水中の藻が鮮やかに色づく。
 サラサラと波が白く輝いた。
 ふと何かに気付いたかのようにレヴィンは手を止めた。
 聞こえるか聞こえないか、そんな静かな声でレヴィンは歌うように呟いた。
「……言葉無し」
 立ち上っていた霧が朝日の色に輝き、光が降り注ぐ。
 その景色を打ち砕くかのように突然とてつもない破断音が響いた。
 ラヴェルはギョッとして腰を浮かすと、水を跳ね上げながらレヴィンに駆け寄った。
「何が起きたの!?」
 無言の相棒の手を見れば、リュートの弦が全て掻き切られていた。
「レヴィン……?」
 レヴィンがなぜか身をかがめた。
 手を離れたリュートがゆっくりと水中に沈んでいく。
 燐光が水中で散った。
「え?」
 誰かの顔のような模様が水面に現れ、やがて揺らいで消えていく。
 幾つもの顔がそれを繰り返し、波と共に消える。
 やがて霧か幻影かのような誰かの姿が水面に立った。
 青き詩人に触れ、淡い姿がゆっくりと薄れていく。
 霧が晴れた。
 眩い光が一面に広がる景色を映し出す。
 その美しさにラヴェルは呆然と立ちすくんだ。
 相棒はやはり無言だった。
 だが、しばらく経ち、レヴィンは呟いた。
「なるほど、な」
「え?」
 光を宿さぬ目が辺りを見回した。
 レヴィンの顔を見れば、風景がその藤色の瞳に薄く反射している。
 だが彼の目にその景色は見えない。
「この景色を表したかったわけだ」
 ラヴェルが理解しかねて黙っていると相棒は振り向いた。
「レヴィン……見えてるの?」
 恐る恐る尋ねると、レヴィンはゆっくり首を横に振った。
「見えていない。見えちゃいないが……意識の中に風景が浮かんだ。一瞬だけどな」
 瑠璃色の湖はますます美しさを増している。
「幽霊の置き土産さ。見せてくれた」
「レヴィン……」
 湖水に魅惑され、沈んでいった者の魂だろうか。
 ラヴェルは腰を折った。
 冷たい水に手を触れ、鎮魂の祈りの印を切る。
「帰ろっか」
「ああ」



 朽ち掛けた木道に小さな虫がしがみついている。
 それを渡り過ごし、ラヴェルは林道をゆっくりと歩いていた。
「リュートはいいの? 大事だったんじゃないの?」
 ラヴェルの問いかけにレヴィンは首を振った。
「いいさ。奴らの墓標にでもなればいい」
「奴ら……?」
 ラヴェルが反芻すると、レヴィンは元来た方をわずかに振り返ったようだった。
「死んだ詩人共さ……最初にここで死んだ奴が、他の詩人を引きずり込んでいたらしい」
「え?」
 風を愛でるようにレヴィンは手で宙をなぞった。
「目にした風景を歌にすることが出来ず、悩んで湖水に身を投じた詩人が犯人さ」
 あの湖を訪れ、あまりの美しさにふさわしい言葉が見つからず、その詩人は歌を作れなかった。
 死んだ後、同じ場所を訪れ歌を歌った者を湖に引き込んでいたが、それでも満足な言葉が見つからなかった。
「よく無事に済んだね」
「俺もお前も歌わなかったからな。何か歌ったら引きずりこまれていただろうよ」
 その答えにラヴェルは深く溜息をついた。
「歌わなかったっていうか、歌えなかったよ。凄すぎて……何て言えばいいのかわからなかった」
「ああ、それでいいのさ」
 葉擦れの音に耳を澄まし、レヴィンは伸びる枝先に指を触れた。
「本気で感動したとき、人間は言葉を失う。あれだけの景色を見て歌えないのは当たり前だ。人間の言葉なんかで歌にした途端、その感動と輝きは失われちまうだろうよ。詩にできないものっていうのは結構あるものさ」
「…………」
 しばらく無言で二人は歩いたがやがて気を取り直したようにレヴィンは振り向いた。
「昔、キリアンという詩人がいた。高名な詩人で素晴らしい歌を幾つも作った。だがある時からそいつはぷっつりと歌うことをやめた」
「どうして?」
「言葉が出なかったのさ」
 かろうじて聞き取れるかどうかの大きさでレヴィンは何かのメロディーを口に乗せた。
「美しすぎる風景にそいつは言葉が出なかった。そいつが最後に残したのが、言葉無き歌、といわれる歌だ」
「どんな歌?」
 ラヴェルが問うと、レヴィンは先ほどのメロディーを繰り返した。
 歌詞は無く、ただメロディーだけの歌。
「そいつはその場所でしばらく景色を眺め、やがて竪琴の弦を全て断ち切ってその場を去った」
 ラヴェルは視線を上げてレヴィンを見つめた。
「じゃぁそれって……リュートの弦を切ったのは」
「そいつにならったのさ。言葉を失って当たり前のものをあれこれ悩んでいた奴に教えてやる必要があったからな……歌にできないものもある、とな」
 朝霧に消えた幻影は水に身を沈めた詩人だったのだろう。
 緑を透かす木漏れ日の中、二人はただ歩いた。
 ミドガルドの大地。
 日の光、小鳥の鳴き声、風の音、水の音……。
 見えない何かに触れようとするようにレヴィンは手を伸ばした。
 レヴィンから見たミドガルドの景色は、命ある生きた世界だ。
「天空は……あれはあれで美しいが、ただそれだけさ。セラフと共に滅んだ、虚ろな場所」
 眩しい光も今の彼には感じられないのだろうか。
 ラヴェルは蒼穹を仰ぎ見、やがて視線を横の男に下ろした。
「でも、またいつかは空に帰るんでしょ?」
 ラヴェルの問いにレヴィンは押し黙った。
 相当な間をおいてようやくレヴィンは答えた。
「俺はセラには戻れないだろうよ。もし元に戻れるという選択肢を与えられても、俺はこの大地に残るだろう……緑なすミドガルドの地に」
「レヴィン……」
 風が木々の梢を揺らす。
 地を渡る風に翡翠の髪を揺らしながら、二人は黙って歩き続けた。



 大陸の西の交通の要所ディアスポラ。
 しかしその地域以外に全く道がないわけではない。
 足元が険しいことは承知でラヴェルは細道を登っていた。
 シレジア南のモラヴァは中央高地との境にある山脈の北斜面とその麓に位置する。
 年間を通して涼しい森を、二人は中央高地へ向けて抜けていた。
 中央高地は現在戦火が飛び交い、非常に危険である。
 しかし、ディアスポラはまた別の意味において、特にレヴィンにとっては非常に危険な土地だ。
 今のレヴィンにどれだけの力が残っているのかわからない。
 ラヴェルは大事を取ってディアスポラを避けたルートを選んだのだ。
 森林限界を抜け、空気が薄く乾いた谷を抜け、瓦礫に丈の短い草とコマクサの揺れる稜線を伝うと、ようやく山脈越えとなる。
 それでもこの尾根は中央高地の山脈では低いほうで、かなり西に位置している。
 ゆっくり下れば再び森が姿を現し、時折清水が木の根の間を縫って流れていく。
 木立の彼方に風の町の白い風車が見え隠れしている。
 都市国家の林立するこの地域は、連合しているとはいえ町一つごとに別の国という扱いだ。
 中央高地のこのたびの戦乱において真っ先に犠牲となった町を横目に、二人は黙々と南へと坂を下りていく。
「風が遠ざかって行く。町を過ぎちまったようだな」
「うん。もう少し歩けるかい?」
「ああ」
 すぐ前を歩くラヴェルは時折振り返ってレヴィンの様子を見ているが、ラヴェル以外の何かもまたレヴィンの先導を担っているようだ。

 風は全ての先導者にて、全てを知るもの

 古代、天空界では風は尊ばれていたらしい。
 世界を身軽に駆け回る、長き旅路の気まぐれなる案内人、それが風とされていた。
 レヴィンの歩みを助けているのは風の妖精達なのだろうか。
 木々の葉擦れの音とせせらぎの音が、妖精の歌のように聞こえる。
 下り坂が徐々に緩くなり、二人は谷を底へ降りきった。
 狭い土地にやがて木立も消え、小川が浅く広がり、やがて谷底は大きく開けた。
「うわぁ……」
 目の前に見えた景色にラヴェルは思わず足を止めた。
 淡紅のバラの樹が谷の先を覆い尽くしている。
 そのバラは城に植えるような艶やかなものではなく、重なる花びらも薄く、しかし香りは素朴ながらも力強い。
「バラの谷だ」
 噂に聞いていただけの土地の通り名をラヴェルは呟いた。
 彼方を見やれば、バラの足元にはハーブが植えられ、花の向こうには古い修道院が見て取れる。

 山に抱かれ、ひっそりたたずむ
 薔薇摘みの乙女が遊び
 全ての香りが溶け合い満ちる
 人知れぬ里、美しくも愁い帯びる隠れ里
 その名も甘きローゼンタール

 誰がバラを植え始めたのか、誰がこの谷をバラの谷と呼び始めたのか、知っている者はいないらしい。
 夕暮れにバラの香りだけが強まっている。
「ここで休もうよ」
「そうだな」
 こじんまりとした修道院に二人は宿を求めた。
 中を案内されながら視線をめぐらせれば、古い神の像が壁に掛けられている。
 黙する者や、深く祈り続けている者の姿がここは特別な場所なのだと深く感じさせる。
 質素な建物を通り過ぎ、やがてラヴェルは足を止めた。
「祈りの場……だけじゃなさそうだね」
「お気づきですか」
 案内役の年老いた修道女もまた足を止めて振り返った。
「ここは隠れ里……世界の表に疲れた者、表から追い出された者、そういった人間をここは昔から匿い、ひと時の安らぎを与える場所でもありました」
 一見すべてが質素に見える。
 だが、幾つかの部屋は、似つかない気品が隠し切れないでいた。
 かつてこの部屋に隠れ住んでいた者の名残なのだろう。
「表を避けてここを訪れる人間は、高貴な方が多くおいででした。その縁か、今でも高貴な方がお忍びに、あるいは旅の途上の宿に、ここをよく訪れになります」
 実際、谷には居を構えている者の他に旅人らしき姿もわずかに見て取れる。
 また、中央高地の貴族の婦人方も、赤子が生まれる頃になるとこの里で過ごすらしい。
 しばらく進み、やがてレヴィンが何故か黙り込んで足を止めた。
 釣られてラヴェルも足を止めた。
 視線を足元にやる。
「……不自然?」
 廊下に色とりどりのバラの花びらが大量に落ちている。
 薔薇の谷の修道院にバラの花びらが落ちていても全く不自然ではない……はずだ。
 ラヴェルは黙って薄く暮れる窓の外を見た。
 広がっているのはただ薄紅のみの花の薔薇。
 その色はただ一色。
 ラヴェルは足で落ちている鮮やかなバラの花びらをつついてみた。
 何故か嫌な予感がする。
 背後では無言でレヴィンが後ろを向いた。
 この場を去ろうとしている証拠だ。
 それに気付くとラヴェルはレヴィンのマントを掴んだ。
 それとほぼ同時……

 ばさぁっ!!

 暗い廊下を突然、鮮やかな花びらが吹雪のように舞った。



 花びらを頭に積もらせ、ラヴェルはどんよりとした気分で白い影を見やった。
「……やっぱり?」
 辺りの落ち着いた雰囲気をぶち壊しにしてそこにいるのは、ヴァレリア帝国皇太子シベリウスだった。
「おや、これは我が心の友。かような場所で出会うとはこれまた奇遇」
 旅の疲れがどっと出た気がしてラヴェルはげんなりと肩を落とした。
「何で殿下がここに」
「はっはっは、ご機嫌いかがかな。ふむ。実は中央高地の戦乱の調停を頼まれ、各地を回っている道中でありましてな。今宵はこちらに宿を取った次第」
 自分の対人運のなさを呪いながら、ラヴェルはあいまいに笑顔を浮かべて差し出された手を取って握手をした。
 こんなときだけはクレイルが共にいてくれたほうがありがたいのだが、生憎今いるのは自分の他はレヴィンだけだ。
「ところでラヴェル殿、お急ぎかな?」
「……何の御用でしょう?」
 大方厄介なことを頼まれるに違いない。
 いつでも逃げ出せる体勢でラヴェルは尋ね返した。
「うむ、実は主要の大都市は巡り終えたので、最後にハイランドに赴きたいのだ。諸侯が集まった場で話をいたしたく。ついてはそこまで護衛を頼めませんかな?」
 噂ではハイランドは戦乱の真っ只中だそうだ。
 そこへ赴くにはかなりの危険が伴うだろう。
「いつもの護衛さんは?」
 ラヴェルは注意深く視線を周りにめぐらせた。
 白い勘違い男の背後にはいつも黒子ともいえる従者達が控えている。
 その気配が何故か無い。
「うむ。実は従者達を引き連れていたのだが、皆ことごとく高山病に倒れてしまい、気付けば我一人となっていたのだ。うむ、無念」
「……殿下はお元気なんですね」
「はっはっは、当然のこと!」
 白い胸を叩くとシベリウスは誇らしげに反り返った。
「栄えあるヴァレリアの威光の前には、病とてただ逃げ去るのみ! どんな病魔であっても決して我を犯すわけには……は……は……はくしょんッ!!」
 窓から流れ込む冷気に、シベリウスはくしゃみを響かせた。
「う、うぅむ……どうやら夏風邪のようだ」
 先ほどの言葉はどこへ行ったのか、シベリウスは元気なく萎れた。
 どうやらこの男は風邪は引かなくとも夏風邪だけは引くタイプのようだ。
「かようなわけでラヴェル殿、いかがであろう? 重ねて護衛をお願いできませぬかな? 路銀と幾許かのお礼は用意させて頂くが故に」
「…………」
 即答しかねてラヴェルは黙り込んだ。
 やがてコッソリと後ろを向くと、財布の中身を確認する。
「…………」
 中身は銅貨が二枚と後は……空気と埃だ。
 くるりと向き直るとラヴェルは元気よく答えた。
「はい喜んで!」
 後ろからレヴィンの見えていないはずの視線が果てしなく冷たい。
 一晩を明かすと三人は東へと足を向けた。
 すがすがしい高原の空気と天まで抜ける蒼穹が辺りを覆い尽くしている。
「ああ絶景かな! まさしく天の頂き、世界の頂上! 世の高みはこうも眩きかな!」
 さんさんと照りつける陽光の中、シベリウスだけが元気に歩みを進めている。
「そうそう、ラヴェル殿、これを」
「?」
 突然シベリウスはマントの下から巨大なカゴを取り出し、ラヴェルに押し付けた。
 中を覗けば……どこからかき集めたのか、色とりどりのバラの花びらが大量に詰め込まれている。
 何か心の中で切れたのを感じ、ラヴェルはやけっぱちに中身を振り撒きながらシベリウスの後をついていった。



 丈の短い草の合間に岩が厳つい顔を見せる。
 岩盤の高台に上る崖を、鹿や山羊が駆け上り、草を食み、苔桃の陰に雷鳥が巣を張っている。
 恵まれた平野や川、森はいつも生命の輝きに満ちているが、このような高山の険しい気候の場所にも、生き物の息吹は絶える事がない。
 刺すような陽光の下、雲の高さを歩けば、ここが大地の世界ミドガルドなのかそれとも天空世界アスガルドなのか、その区別もあやふやになってくる。
 稜線を伝い、別の山へ降り、また別の山道を行き、景色はめまぐるしく変わる。
 一度森林まで降り、小路を森の中央部へ進めば、やがて北上してハイランドへ至る街道分岐へ辿り着いた。
「む? ラヴェル殿、これをご覧あれ」
「?」
 ぐったりしながら歩いていたラヴェルだったが、シベリウスに促されて歩みを止めた。
 レヴィンが腰を折り、地面に手を触れる。
「妖精共がかなり苛立っているな」
 レヴィンの呟きにラヴェルは黙って地面を見つめた。
 木々の根が傷み、地面には幾つもの蹄鉄の跡が重なっている。
 軍馬が駆け抜けた痕跡だ。
「これは急いだ方が良さそうですな。参りましょうぞ」
 蹄の跡はハイランド方面へ向かっている。
 急ぎ駆け上れば、森が開けた辺りで剣戟の音が鳴り響いている。
「む、遅かったか!」
 見れば数多の軍馬や騎士が鼻息も荒く戦い、上空には天馬の群れが滑空しては地上に突撃を仕掛けている。
「完全に戦争だね、これは」
 岩陰に身を潜め、ラヴェルは様子をうかがった。
 恐らく天馬を擁している部隊はハイランドの軍勢だろう。
 そこへ襲い掛かっているのは……どこの部隊かわからない。
「うむ、今こそ出番」
 そう言うが早いか、シベリウスは岩の上へよじ登った。
 抜いたレイピアを輝かせ、高らかに名乗りを上げる。
「聞きたまえ騎士達よ! 我こそ栄えあるバレリア帝国皇太子シベリウス! 愚かなる戦をやめるよう、皇帝の命にて言い伝えに参った! 両軍とも即座に剣を下ろされよ! これはヴァレリアからの警告である! すぐに争いをやめ、友好の席に着きたまえ!」
 金属音が高く響き渡った。
 騎士と騎士がぶつかり合った音だ。
 レイピアを振りかざしたままシベリウスはぽつんと岩の上に立ち尽くしていた。
 眼前は騎士達の乱戦が覆い、全くやむ気配はない。
 妙に白く眩しくその姿だけが浮いているが、戦う者は誰もそれを気にすら留めていない
ようだ。
「あの、誰も聞いていないみたいなんですけど」
「う、うむ」
 のどの奥で呻くと、シベリウスは頭を振って気持ちを入れ直した。
「諸君!」
 再び声を張り上げる。
 しかしやはり誰も聞いていない。
 しばし考え、シベリウスは咳払いをした。
 大きく息を吸うと、今度こそとばかりにシベリウスは大声を張り上げた。
「そこの美青年!」
 騎士達が一斉に振り向いた。
 ラヴェルは思わず転びそうになったが、とりあえず効果はあったらしい。
「ラヴェル殿、花、花」
 小声で促され、ラヴェルは半ば投げつけるように花びらをシベリウスに向かって撒き散らした。
「うむ感謝」
 騎士の殺気だった視線を一斉に浴びながら、シベリウスは朗々と声を響かせる。
「我こそ栄光のヴァレリア皇太子シベリウス! 皇帝より戦の平定を仰せつかって参った! 双方とも剣を降ろされよ! 争いよりも、友好こそが互いの……」
 シベリウスが語り終えぬうち、辺りに剣戟の音が戻った。
 何事もなかったかのように戦が再開されている。
「ん……むむむ」
 完全に無視され、シベリウスは無念そうに呻き声を上げた。
「何とかして争いをやめさせたいが……」
 目の前の殺戮は止まる事を知らないらしい。
 高原は血なまぐさい戦場と化し、生者と死者が相半ばして影を落としている。
「このままではさらに命が失われようぞ。いかがしたものか……」
 岩の上から辺りを見下ろし、シベリウスはやがてラヴェルに視線を向けた。
「ラヴェル殿、どう思われる? 何としても戦はやめさせねばならない。かくなるうえは、喧嘩両成敗ということで、無理矢理にでも中断させたいのだが」
「うーん」
 どうやって……と問おうとしてラヴェルは視線を背後にやった。
 シベリウスはラヴェルに話しかけているものの、意識しているのはレヴィンだろう。
 彼の魔法なら何とかなるかもしれない。
「レヴィン殿」
 ずっと黙っていた同行者にシベリウスは声を掛けた。
「争っているものを全て黙らせたいのであるが、なんとかできませんかな? 速やかに争いをやめさせ、ハイランドに向かいたいのであるが」
 要するにこうなったら力ずくでも黙らせようということらしい。
 激しい戦いはまだやむ気配はない。
「……いいだろう」
 どこか投げやりに溜息ともつかぬものを吐くと、レヴィンは何か唱え始めた。
 血なまぐさい空気が凍りついたように止まったかと思うと、次の瞬間には轟音を伴って風が吹き荒れた。
「ウィンツブラオト!!」
 雄叫びが悲鳴に取って代わり、大旋風が地面を抉りながらすべてを巻き込み、吹き飛ばす。
「あ」
 白い影が空中に放り出されたことに気付き、ラヴェルは上を向いた。
 白いマントが空をくるくると回転している。
「よ〜〜〜〜ぅれいひ〜〜〜〜〜!」
 ヨーデルのように聞こえなくもないけったいな高音声を発しながら、シベリウスがハイランド方面に飛ばされて行く。
 ものはついでとばかり、レヴィンはシベリウスも吹き飛ばしたらしい。
「い、いいのかなぁ?」
「ほっとけ」
 とりあえずシベリウスをハイランドまで送ればいいのだ、文句はあるまい。
 まぁいいか……そう思いなおしてラヴェルが視線を戻した瞬間、黒い影が降る。
「ぐぎゃあ!」
 ラヴェルの悲鳴と腰を痛める音が同時に響き渡った。
 甲冑を着込んだ軍馬や騎士が落下音まで重々しく空から降り注ぐ。
 旋風に巻き上げられていた岩石や泥まで含め、空に上った全てがラヴェルの頭上に戻された。

つづく

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